つまり、プロ野球ファンは、もう地上波には見切りをつけ、BS、さらにはCSで楽しむ時代に来ているということだ。契約をして、金を払って自分の見たいものを見る時代なのだ。アメリカではプロボクシングの世界ヘビー級のタイトルマッチはCS放送とその時だけ契約して楽しむのだ。まさに商品を買うのと同じ感覚である。
TVの野球中継は解説者もアナウンサーも勝手に喋りまくって煩くてたまらないという声を聞く。昨日今日にはじまったことではない。取材不足で、人の心に平気で土足で入り込むような解説者がいる。自分がやってきたことは、すっかり忘れて、まるでスーパーマンのような発言を聞いていると、「うるさい!お前はどうだったんだ!」と思わずTVに向かって叫んでしまう。アナウンサーも自分が調べたことをこれみよがしに、まるで発表会のように数字を羅列し、選手や監督から聞いた話の紹介に終始する。「いい加減にせい。聞いた話はもう古い。数字の中身を分析してから言え!」と音を消してしまうことさえある。
TVは画面が主役である。絵が全てを物語っているのだ。視聴者が「うるさい」と感じるのは画面にふさわしくないことを延々としゃべり続けているからなのだ。そのシーンにふさわしい実況、質問、会話が展開するなら、それは言葉の多い、少ないの問題ではないのだ。アナウンサーが感動を押しつけようと、声を張り上げ、わめき、絶叫するのも興ざめである。感動を呼ぶのは、これもその雰囲気にマッチした実況である。時に叫び、時に間をとり、時に歌い、時に声を押し殺す。視聴者に押しつけるのではなく、共感をともにすることなのだ。
これは野球ではなかったが、世界水泳の実況は酷かった。実況者の一人よがり、描写でなくて、あらかじめ決めておいた形容詞の羅列。これは実況ではないのだ。しかし、こうした酷い実況の犯人は誰かといえば、起用したディレクターにつきるのである。賢明なるプロ野球ファンはディレクターの「絵作り」をよく見てほしいのだ。プロ野球中継の素晴らしさは心に響く画面づくりに全てがあるといっても過言ではない。解説者もアナもその絵をいかに補足して、その場にふさわしいコメントをするかなのだ。つまり、TVスポーツの主役は、カメラ、技術、解説、アナをリードするディレクターの力が第一なのだ。映画と同じだと考えてほしい。
いま、私はCSのJSKYスポーツの放送をしているが、素晴らしいディレクターと巡り会えた。幕張・千葉ロッテの中継担当するプロダクションの梶田泰史さんだ。一瞬も気が抜けない画面を次々と切り替えてくる。こうなると、アナとディレクターの勝負になる。瞬間に意味が分からず「やられたぁ」と舌を巻くことがある。三木慎太郎さんも高校球児だっただけに、梶田さんの影響を受け、鋭い絵を作ってくる。
いま、CS、殊に、JSKYの放送は私にとっても、興味のある野球実況なのです。 |