今はやりの「アーカイブス」は、単に思い出に浸ることではなく、歴史の重みをそこに発見することになる。
先月末、私はJSKYスポーツのプロ野球中継で松山市の坊ちゃんスタジアムを訪れた。その日、5月24日、スタジアムでは球場の一部に野球歴史資料館を造り、その開場記念のセレモニーが行われていた。愛媛は野球王国といわれるように、あの松山商業−三沢の名勝負、藤本・千葉・藤田に代表されるあまたの名選手を生んだところである。
野球殿堂入りした俳人・正岡子規が故郷松山にベースボールの種をまき、野球用語を開発したと言われている。オープンした野球資料館は『の・ボールミュージアム』と名づけられ、球場の正面入り口を挟んで、右にアマチュア野球の資料館、左にプロと野球ゲームや投球マシーンの部屋に分かれている。因に、『の・ボール」』由来は子規の幼名のぼると稚号「野球(の・ぼうる)に因んだものである。
開館に尽力した中村時広松山市長は、父が松山商業時代、千葉茂さんとチームメイトだったそうで、セレモニーの直前に「野球への思い」を熱っぽく話してくれた。野球を愛する人がたまたま行政の長にいたわけだが、大切なことはただ野球をやったり見たりして楽しむだけではなく、野球への思いを形として残し、受け継いでいくことだろう。
セレモニーのあと、資料館を覗いてみた。入り口でオールドスタイルのユニフォームに身を包んで、左打席に立つ子規の像が私を迎えてくれた。説明書きを読むと、子規は用語の翻訳やルール解釈に取り組み、打者、走者、直球、四球などは子規が訳した用語だそうな。
「へぇっ、知らなかった」これからは、折に触れてアナウンスする際に思い起こすことだろう。
資料館には愛媛県の野球史年表、高校野球部の紹介、優勝旗、思い出の野球用具などが展示されてある。私が甲子園から伝えた懐かしい高校名が並んでいた。松山商業、宇和島東、川之江、新田、今治西、新居浜商と走馬灯のように名場面が甦ってきた。
去年、坊ちゃんスタジアムでオールスターを開くにあたって尽力された千葉茂さんは、天国でこのミュージアムの開館をことのほか喜んでいることだろう。日本の野球界は、過去の歴史と人を大切にして欲しい。過去があって今がある。そして未来が開かれるのだ。
松山に行く機会があったら、温泉だけでなく、ぜひ『の・ボールミュージアム』に立ち寄ってみることをお勧めする。ユニフォーム姿の正岡子規があなたを迎えてくれるはずだ。 |