Column (2003/06/14号・週刊ベースボール掲載分)
◎野球文化の種まき

 熱心な野球ファンの中には、アメリカの野球の殿堂があるクーパーズタウンを訪ねた人もいるはずだ。私もNHK時代に静かな湖に面した美しい小さな野球の故郷に出会い、感激し、感嘆したものだった。アメリカと日本の野球の裾野の広さの違い、歴史の浅いアメリカだから、逆に歴史を作り上げてきた先人を敬い、いつまでも忘れずに讃える心が溢れていることに胸を打たれたものだ。野球を愛し、野球とともに過ごした人々の原点に触れた思いだった。
 日本にも東京ドームの隅にささやかな博物館がある。残念ながら、クーパーズタウンとは比較にならない。逆に比べて見たときに、日米の差を嫌というほど知らされてしまうのだ。

 今はやりの「アーカイブス」は、単に思い出に浸ることではなく、歴史の重みをそこに発見することになる。
 先月末、私はJSKYスポーツのプロ野球中継で松山市の坊ちゃんスタジアムを訪れた。その日、5月24日、スタジアムでは球場の一部に野球歴史資料館を造り、その開場記念のセレモニーが行われていた。愛媛は野球王国といわれるように、あの松山商業−三沢の名勝負、藤本・千葉・藤田に代表されるあまたの名選手を生んだところである。
 野球殿堂入りした俳人・正岡子規が故郷松山にベースボールの種をまき、野球用語を開発したと言われている。オープンした野球資料館は『の・ボールミュージアム』と名づけられ、球場の正面入り口を挟んで、右にアマチュア野球の資料館、左にプロと野球ゲームや投球マシーンの部屋に分かれている。因に、『の・ボール」』由来は子規の幼名のぼると稚号「野球(の・ぼうる)に因んだものである。
 開館に尽力した中村時広松山市長は、父が松山商業時代、千葉茂さんとチームメイトだったそうで、セレモニーの直前に「野球への思い」を熱っぽく話してくれた。野球を愛する人がたまたま行政の長にいたわけだが、大切なことはただ野球をやったり見たりして楽しむだけではなく、野球への思いを形として残し、受け継いでいくことだろう。
 セレモニーのあと、資料館を覗いてみた。入り口でオールドスタイルのユニフォームに身を包んで、左打席に立つ子規の像が私を迎えてくれた。説明書きを読むと、子規は用語の翻訳やルール解釈に取り組み、打者、走者、直球、四球などは子規が訳した用語だそうな。
 「へぇっ、知らなかった」これからは、折に触れてアナウンスする際に思い起こすことだろう。
 資料館には愛媛県の野球史年表、高校野球部の紹介、優勝旗、思い出の野球用具などが展示されてある。私が甲子園から伝えた懐かしい高校名が並んでいた。松山商業、宇和島東、川之江、新田、今治西、新居浜商と走馬灯のように名場面が甦ってきた。
 去年、坊ちゃんスタジアムでオールスターを開くにあたって尽力された千葉茂さんは、天国でこのミュージアムの開館をことのほか喜んでいることだろう。日本の野球界は、過去の歴史と人を大切にして欲しい。過去があって今がある。そして未来が開かれるのだ。
 松山に行く機会があったら、温泉だけでなく、ぜひ『の・ボールミュージアム』に立ち寄ってみることをお勧めする。ユニフォーム姿の正岡子規があなたを迎えてくれるはずだ。

坊っちゃんスタジアム(松山中央公園野球場)
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kysport/shisetsu/bochan/index.html


--- copyright 2001-2002 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp