Column (2003/05/19号・週刊ベースボール掲載分)
◎解任劇〜改めて監督のあり方〜

 4月20日、ロッテ対オリックス戦、試合前から小雨が降り続いていたが、いつものように石毛監督は小雨の中、精力的に指導を続けていた。彼は現役のころのように、グラブを離さず、守備位置について練習を手伝い、指導し、不振のバッターにはスイングを教える。去年、監督に就任して以来、試合前の彼は忙しく、取材者として話を聞くのは、タイミングを計り、気づかいをしながらだった。
 その日、開幕から5勝10敗1分け、小雨の中、寸暇を惜しんで指導する石毛監督に、私は声をかけるのを遠慮したのだ。試合は9回までオリックスが3点リード、逃げ切りの併殺で、「勝った」と思った瞬間、平野がエラー、同点にされ、延長10回、堀のサヨナラホームランが飛び出し、奈落の底につき落とされた。

 石毛監督の三塁ベースコーチからの采配を見たのは、私にはこれが最後になった。札幌に移動しての西武戦は2勝1敗だったが、既に札幌で解任が伝えられていたと聞く。あの千葉での小雨の中、会話を交わしておけばよかったと悔やまれる。解任の翌日の夜、私は石毛さんの携帯を呼び出した。寂しい夜だったはずだ。「日本の野球界にはいられないでしょうねぇ。米の独立リーグとか、子供たちに野球を教えるとか・・・・」悲しみの中、彼は言葉を捜していた。「しばらく休んで、時を待つ、外から自分を見る時間にしよう。元気になった頃、会おうよ」私も電話をしたものの、適切な励ましの言葉がみつからなかった。
 監督と言う仕事は、やりがいもあろうが、厳しいものだ。結果が出なければ、経営は待ってくれない。しかも、与えられた戦力の中で戦わなければならない。同じ辞め方でも、「解任」は最悪のケースになる。評論家として再スタートしようにも、放送、新聞は首になったことで二の足を踏むケースが多いのだ。経営側に何らかの配慮がない限り、「解任」の二文字は致命的になってしまう。
 オリックスで石毛さんは自分の理想を性急に実現させようと焦っていたように私には見えた。厳しい叱責に、選手は監督の顔色を伺っていた。「監督は私だ。私の言う通りにしろ」という権力が伺われた。去年の地方試合で、打てなかった夜、宿舎の駐車場で、監督、コーチの見守る中、11時過ぎまでバットスイングをする光景を私は目撃した。ベテランの藤井までが振らされていた。まるで、お仕置きのように見えた。
 監督がコーチの仕事までやってしまうと、コーチはどうしたらいいのだろう。会社もティームも同じで、それぞれの役割分担があるのだ。そこのところに気づいてほしいと、私は感じていた。
 新任のレオン監督の挨拶に「このティームは私のティームではありません。皆さんのティームです」・・・・・・ 石毛さんは自分の心を出すことは優れていた。が、他人の心。それぞれの立場を認める気持ちが、猪突猛進で置き去りにされたように思えてならない。いつの日か、ゆったりと広い視野の石毛監督の指揮ぶりを見たいものだ。念のために言っておくが、私は若くはない。

オリックス・ブルーウェーブ
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