ヒルマン監督は選手として、監督として大リーグの経験がない。1989年から2001年まで、ヤンキースの下部組織の1Aから3Aの球団の監督を務めた。勝つことを目的にしながらも育てて、大リーガーとして送り込むことが任務だった。
「どんな指導をし、どう闘うのだろう」キャンプ、オープン戦、そして公式戦、ヒルマンさんのやり方は「あの華やかな大リーガーたちの野球」「パワーの力と力の勝負」だけがアメリカ野球でないことを見せてくれている。
開幕早々のロッテー日本ハム戦をJsky スポーツで放送する際の発言は「選手の自信を失わせないように配慮しながら、状況に合わせて多くの選手を使いたい。全員で戦い抜く野球を目指している」キャンプからオープン戦にかけてやってきたヒルマン流をもう一度まとめてみると、連日の打撃投手、ブルペン捕手、量より質の練習内容、実践を増やす。キャンプ地でのナイター練習。そして、数々のヒルマン語録は「自分をコントロールして怒鳴らない。アメリカを押し付けない。日本とアメリカのいい所をミックスしたい。会話は衝突より強い、メッセージを伝えるにはタイミングとプレゼンテーションが必要・・・・」等など。
彼はまさに教育者でもあるのだ。打者はボールをよく見て、投手に球数を投げさすこと。早打ちを禁じ、第一ストライクを見逃す指示を出す練習もした。大リーガーは初球からガンガン打ってくると一般的に言われるが、米のファームではこういう指導も強いることを知らされた。一つでも先の塁を狙い、出塁率を重視、投手は低めのコントロールが大切、四球は減らすこと。高校生に教えるような基本的なことばかりなのだ。
試合中、ベンチの彼は分厚いメモ帳とペンを片時も手放さない。気のついたことを、それこそ一球、一打でも書き込んでいる。選手はいつも採点されているような感じだが、日本ハムの選手が監督の顔色を伺っているようには見えない。この時の彼は、監督というより、教育者の眼差しと表情に思える。公式戦が始まって彼の考えを選手が実践できているかと言えば、正直まだ時間がかかることは確かなのだが・・・・・・
営業を考えるのも監督の仕事だ。千葉マリンでの試合後、彼はファンの長い列の最後の一人までサインをし続けた。札幌では選手とともにゲートで観客を迎え握手、学校への訪問、講演、懇親会と精力的にチームのPRに努めたと聞く。
松井、イチロー、野茂、佐々木の活躍を通して米大リーグが近くなり、大リーグを知るようになった。しかし、華やかな一面だけでなく、ヒルマン流もアメリカの野球である。かつてブレイザー、ルーツ、バレンタインが果たせなかった夢を大リーガーとしてノンキャリアの彼が、数年先に実らせることを、私は期待している。いまは日本ハムの「途中経過」を見守ってやりたいのだ。 |