Column (2003/04/21号・週刊ベースボール掲載分)
◎スポーツ文化はあるのか

 プロ野球開幕の3月28日、私はJ・SKY スポーツのマイクの前にいた。ヤクルトー広島戦、開幕投手は最多勝のホッジスと新エースの黒田だった。開幕は特別な日である。2003年のまっさらなマウンドに各ティームの今季の柱、ティームの運命を託すエースが上がる日なのだ。マウンドは野球人にとって、ある意味では神聖な、特別な場所のはずだ。
毎年、私は開幕の始球式を注目しています。今年の神宮のオープニングセレモニーは世界的なテノール歌手の秋川雅史さんが朗々と「君が代」を歌い上げる。

 始球式には32人のリトルリーグの子供たちが書くポジションに2人づつ、ヤクルトのスタメン選手の守備位置につき、二人の少年投手が並んで開幕を飾る始球式を投じた。明日を夢見る子供たちのとって、この上ない経験をしたはずだ。ヤクルト球団としては、近年はやりのタレントによる始球式ではなく、プロ野球ファンの子供たちに夢を与え、グランドに招きたいという主旨である。カープ黒田の力投で開幕戦を落としたヤクルトだが、始球式に関していえばヤクルトに白星をあげたい。二重丸だ。
 それに引き換え、球界の盟主を自認する巨人はなんなんだ。人気タレント優香(私は知らないが・・・)の大暴投、さらのマウンドにタレントをあげてそれがファンのサービスだとでも思っているのだろうか。なんで始球式を球界の大先輩にやってもらわないのだろう。プロ野球ファンはタレントの変な投球を見たいと思っているとは思えない。タレントを見たいのはTVや映画の中でいいだろう・ダイエーの始球式もロックバンドの宮沢和史だった。巨人の原監督、ダイエーの王監督はどんな思いで見ていたか、企画した球団職員は考えたことがあるのだろうか。二人とも解説者時代は米大リーグの取材、放送に出かけ、厳粛なセレモニーの素晴らしさを知っているはずなのだ。米大リーグはこんなことは絶対にやらない。野球は文化であり、感動と興奮を創造していくものなのだ。
 95年の野茂とジョンソンが先発したテキサスでのオールスターの開会式を私は忘れることはないだろう。カントリー歌手の大スター、ライル・ラベットは声が出なくなるのではないかと放送席で心配するほど緊張して声を震わせて国歌を歌った。前年、引退したばかりのテキサスの速球王、ノーラン・ライアンがYシャツにネクタイ姿で始球式のマウンドに上がった。きれいなダイナミックなフォームは現役時代を彷彿させた。「速い、速い、ノーラン・ライアン、まだまだ若い!」と、私は実況したものだ。米の始球式は特別なものであり、野球人の誇りの場なのだ。因に、日本の開幕日のその他の球場は、横浜がK−1の挌闘家・魔裟斗、大阪は天満宮の寺井宮司、西武は横綱朝青龍。横綱はロッテの地元開幕でも、なんと連投した。野球人がマウンドに上がったのは神宮の少年野球だけだった。「あぁ〜」これ以上は言うまい。

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