■ Column No.242 (2007/09/18デイリースポーツ掲載分)
● 取材の原点とは何か

 テレビのワイドショーやスポーツ紙に格好の話題を提供した朝青龍騒動が一段落したと思いきや、取材証没収という、マスコミの原点に関わる問題が賑やかに報じられた。渦中の杉山邦博さんはNHK時代の先輩アナなので殊のほか興味深かったのだが、正直言って切っ掛けも結末もがっかりしてしまった。横綱のあるまじき姿、相撲協会の朝青龍への対応、高砂親方の情けない態度にはあきれ返ってものをいう気にもなれなかったのだが、杉山さんのテレビ出演に関する相撲協会の一方的な態度は取材者に対する横暴な介入である。マスコミで働く私にも、いささかいわせて貰いたくなったのだ。
 北の湖理事長が「杉山氏が相撲協会の会友なのに、相撲評論家としてテレビなどのマスコミで発言するのなら、東京相撲記者クラブの会友としての取材証は出せない」と返還を要求した。私が引っかかるのは、ここで杉山さんがあっさり取材証を返してしまったことにある。マスコミの基本は、早く、正しく、時に批判の目をもって伝えることにある。時には「批判」をしなくてはならないのがスポーツジャーナリズムである。すると、杉山さんは単なる相撲愛好家として、毎場所テレビの片隅に映りながら相撲を楽しんでいたのだろうか。
 驚いたのは、マスコミがこのことを騒ぎ出すと、北の湖理事長は2日後に杉山さんと話し合い取材証を返還したのである。報道記事によると、杉山さんは、「今後は会友の肩書きで出演するし、これからも相撲協会の応援団の一員です」と答えたそうである。なんだか私は悲しくなった。取材証を返してもらった杉山さんが、スポーツ紙やワイドショーのカメラマンに向かってポーズを取っている。大体、抵抗もせずに記者の命である「取材証」をあっさり返したことが可笑しかったのだ。手にしていることは当然だろう。ただ、私もフリーのジャーナリストだから分かるのだが、組織のバックアップがないという辛い立場ではあるのだ。改めて、私も、心して取材活動、実況アナウンサーの立場をしっかりと貫きたいと、思うのだ。取材される側とする側の越えられない一線がある。もし越えてしまったら、伝える時には自分のポジションに戻ってこなくてはならないだろう。このところの、バレー、水泳、陸上などの勝手に盛り上げて扇動する放送も競技団体の応援団に他ならないのだ。
 ところで、このコラムは来週が最後になる。7年と2ヶ月、マスコミの矜持を貫くことは忘れなかったつもりだ。ゴールが見えてほっとしています。



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