■ Column No.235 (2007/07/24デイリースポーツ掲載分)
● 殿堂入りの表彰

 先週、オールスター第1戦の前に、今年1月、野球殿堂入りした故梶本隆夫氏と松永怜一氏の表彰式が行われた。松永さんの晴れ姿と笑顔を「本当によかったですね」と私は試合以上に興味深く見つめていた。
 松永さんとは、甲子園の高校野球の解説とアナウンサーとしてお付き合いをさせて頂いた私の高校野球放送の「お師匠さん」である。厳しさと暖かさ、正しいことを主張する姿勢、歯切れの良い話し方、アナウンサーに迎合せず「嫌、そうではありません」とはっきりたしなめる「教育者としての視点」があった。背筋をピンと伸ばし、選手と監督を見つめた放送席の姿は、現役の監督時代と少しも変わらなかった。
 私が少しずつ、成長する姿を確認すると、甲子園の期間中、梅田の近くの魚料理屋へ案内してくれ、野球の話をしてくれた。「今のNHKの若いアナウンサーは私にぶつかってこない。島村さんはとんでもないことも聞いてきたが、私に向かってきてくれた。うわべだけのお上手な質問ばかりでは高校野球の心は語れません」楽しみだった松永さんとの語らいも、その後数年で終わった。高校野球の解説をやめられてしまったのだ。今でも、甲子園の放送を聴きながら、また、このところの高校野球の諸問題を見るにつけ「あの頃の松永さんだったら何といわれるかな」と思うのだ。
 甲子園で試合終了直後、両ティームの選手がホームプレート付近で挨拶をする前に握手をするシーンを見かける。今や当たり前の光景だ。かって、松永少年が、福岡・八幡高校の主将として、甲子園の試合を戦い、相手ティームを讃え、握手を交わしたというのが、甲子園で初めての「健闘を讃える握手」だったと聞いたことがある。真偽のほどはさておき、松永さんらしい逸話だと、私は思っているのです。
 法政大学の監督として黄金時代を築いた松永さん、田淵、山本浩、山中、富田、江本、鶴岡、桑原と、東京六大学史上にその名を残した素晴らしい成績と教育。オールスターの解説だった山本浩さんが「今あるのは松永さんのお陰です。私の恩師です」
 住友金属の監督として、都市対抗、日本選手権での活躍、そして、ロサンゼルス五輪での優勝。このロサンゼルスは公開競技としての第1回大会で、急遽ティームをつくり臨んだのだった。優勝の決まった夜、リトル東京でばったり出くわしたときのことだ。「島村さん、勝ちましたよ、優勝ですよ。優勝」冷静な松永さんの興奮していた姿を昨日のことのように思い出す。
 五輪の野球の金メダルは、その後、プロ選手の時代になってもない。



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