■ Column No.228 (2007/06/05デイリースポーツ掲載分)
● 私は諦めない

 マリア・シャラポワは、なんであんなに頑張りきれるのだろう。彼女の凄さは「決して勝負を最後まで諦めない」ところにある。追い詰められても、守りのテニスにはならない。あの「シベリアのサイレン」と酷評される叫び声とともに、打たれても打たれても美しい顔を鬼のように歪め、ヒットし続けるのだ。
 全仏オープンテニスの4回戦でシャラポワはサウスポーの好打を打つパティ・シュニーダーに何度もマッチポイントを奪われながら耐え、反撃した。右肩の痛みを抱えながら戦っているので、不利な場面でトレーナーを呼び、治療は受けなかったので、ポーズをとる雰囲気にも見えた。痛み止めを貰ったのかも知れないが、厳しいフランスのファンは口笛を吹き、シャラポワを批判する。大熱戦となったので場内はウエービングが続き、大いに盛り上がるのたが、日本と違いフランスのファンはどちらかと言えば、アンチ・シャラポワだ。日本のテニスファンのようにミーハーではない。しかし、シャラポワの精神力は異常なほど強い。大観衆を敵に廻しても落ち着いて周囲が見えるのだ。あと2ポイントに追い込まれたゲーム中にシャラポワはラケットを換えにベンチに戻った。シュニーダーは一気に勝負を続けたい場面だった。ラケット交換はストリングスが切れるとやるのだが、観衆にはシャラポワがポーズをとり、一呼吸置こうとしたように見えたのだろう。ここで、またブーイングが起きた。それでも、シャラポワは意に返さず、ラケットを見つめ集中して反撃した。
 最後まで、「あと1本」をシュニーダーに許さず、劣勢を挽回して大逆転の勝利を収めてしまったのだ。
 シベリアの小さな町から、夢を追って、父とともにわずか7百ドルを懐にアメリカに渡った彼女は9年後にウインブルドンのチャンピオンになり、美しく若く強い「現代のシンデレラガール」としてスポーツビジネス界の花形になり、巨額の富を築いている。それでも、ロシアでの苦しかったことは忘れてはいない。2月には、生まれ故郷に近いチェルノブイリの復興計画のために寄付も行い、国連の親善大使にも任命されている。
 試合中は決して笑顔を見せず、集中力を保っている。激しいトレーニングは人一倍にやると言い切る。他人のことは気にしない。自分の世界でテニスに打ち込む。苦しくなると「冷静に、もっと忍耐強く」と自分に言い聞かす。
 日曜日のスザンヌ・ランランコートで、フランスの観衆のほとんどを敵に廻し、シュニーダーの素晴らしいテニスに崖っぷちまで追い込まれても、最後の一本に望みもを繋ぐファイトに、私は放送席で驚き、あきれ、最後は言葉もなかったのだ。「私は諦めない」きっと、シャラポワは、そういい続けてきたのだろう。まだ、20歳とは信じがたい。



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