Column No.187 (2006/08/16デイリースポーツ掲載分)
◎ 恩師と選手たち

  甲子園の高校野球も中盤、今年は開会式から久しぶりに観衆も多く、盛り上がりを見せている。伝統校、甲子園の優勝校、活躍した高校が数多く代表に選ばれたからかも知れない。甲子園は心の故郷、年配の方々には「青春のノスタルジア」になるのだろう。プロ野球の現場にいても、この季節は甲子園を感じることがある。日曜の福岡ヤフードームドームで懐かしい笑顔に再会した。鹿児島の久保克之さんだ。今は副校長、ティームの総監督として現場からは少し離れたが、長いこと鹿児島実業の監督として春センバツの優勝を始め、夏もベスト4に進むなど甲子園で大活躍、20代後半で若い地方局のアナウンサーだった私はグランドに尋ねては野球を教えてもらったものだった。
 「お久しぶりですねぇ。そうかぁ、教え子が気になるんですね。このところ勝てない杉内先発ですものねぇ」「いゃぁ、たまたまなんですが、いい日にぶつかりました。びしっと活を入れておきました」スターや一流になっても、選手にとっては幾つになっても恩師は怖い存在のようだ。「今でも、正座するか、直立不動ですよ。はっはっは」そこへ、最近一軍に上がってきた本多二塁手がすっ飛んで挨拶にくる。「身体は小さいですが、これはスピードがあるし、速球に強かったですよ」今や人気の「宗リン」こと川崎選手も記念品を手渡しにやってきた。川崎は鹿児島実業の出身ではなく鹿児島工業、この夏、後輩が始めて甲子園に出場、しかも強豪高知商業を破ったばかりだった。「なんで、川崎を取らなかったんですか」「そうそう、そこなんですよ。皆さんによく責められるんです。あれは私のミス。でもあの頃の川崎は少っちゃくてねぇ」「鹿児島工業といえば、今校長は瀬田先生なんですって」「そうなんですよ。名投手が校長で行ったら、すぐ甲子園ですよ」昔、玉龍高で選手監督として活躍した瀬田豊文さんは小さな好投手で鹿児島ではよく知られた野球人であり、教育者である。かって高校野球の監督だった方が今では数多く校長になられている。真の甲子園の心を野球だけでなく全生徒に教えて欲しいものだ。
 この日、杉内も本多もスタンドから見つめる久保克之前監督の視線を感じながらプレーをしていたようだ。延長12回の引き分けで勝ちはつかなかったが杉内は好投、きっかけは掴んだはず。新人本多も恩師の前でヒットを打った。私の放送するテレビカメラは観戦する久保さんご夫妻の姿を捉えていたが、監督時代と違う、穏やかな楽しそうな表情に見えた。「甲子園の絆」を選手は皆もっている。鍛えられた原点は高校野球だからだ。



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