Column No.185 (2006/08/02デイリースポーツ掲載分)
◎ シニア賞金王の死

 プロゴルファーの天野勝さんが先週亡くなられたという記事に接した。ここ数年、日本のプロゴルフのシニアツアーは停滞が続いている。しかも、最近は芳しくない事件まで起きてがっかりしていた矢先である。
 日本のシニアゴルフは90年代に盛んになりかけていた。私も毎年のように日本プロ、日本シニアオープンの中継を行っていたのだが、レギュラーツアーと一味違う熟練の技やなごやかな雰囲気がなんともいえず楽しかった。天野勝さんはシニアデビューの92年に7勝をマークして賞金王に輝いた。3週連続優勝などの華々しい活躍をしたのだが、飄々とした人懐っこさでギャラリーや私たち取材陣にも人気があった。ゴルファー人生も特異な存在で、いわゆるゴルフエリートではない。広島の生まれだが、学生時代、東京都で卓球の個人チャンピオンになった経歴がある。ゴルフは飛距離の出るタイプだったが、始めたのが26歳というから異色である。大学を出て、サラリーマン生活を送っていたが、「もっと給料が欲しく、スパッと止め」職業安定所から帰る途中、たまたまゴルフ練習場により、初めてクラブを握ったのがきっかけで、僅か4ヶ月でハンディ4、練習場の先生に採用され、5年目でプロテストに合格してしまうという、嘘のような本当の話を地で言った遅咲きのプロゴルファーなのだ。
 レギュラーツアーでも独特の雰囲気で中堅プロとして活躍、関東オープンでジャンボ尾崎に逆転勝ちして話題になった。シニアになり第二の人生が花開き、得意の長打力で92年の賞金王を初め、その後の数年間は上位ランキングに常に顔を出していた。アメリカツアーにも進出、青木功さんのような派手な活躍ではなかったが、確か数年はシード権を持っていたはずだ。当時、私もアメリカのツアーをBS放送でやっていたのでシニアツアーの中継では天野さんによくお会いした。いつも、アメリカのシニアツアーの素晴らしさを語ってくれた。奥さんがキャディーを務め、二人で広いアメリカの各地を旅しておられた。あの頃が一番幸せな時だったように思える。天野さんが語ってくれたように、米のシニアツアーはスターもそろい、ゴルフ環境も素敵なだけに、今日本のシニア選手たちの目は海外に向いている。青木、倉本、尾崎直らは米ツアーを転戦しているし、先週の全英シニアオープンには尾崎直、中嶋、青木、倉本ら七人が出場している。かつての名手たちが次々にシニア入りする。反面、日本のシニアツアーは寂しくなってきた。天野さんの死に接し、改めて日本のツアーをなんとかしなくてはなるまいと思うのは私だけではないはずだ。



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