Column No.180 (2006/06/21デイリースポーツ掲載分)
◎ 五輪の申し子に期待

 不適切な経理問題で揺れた日本スケート連盟の新会長に参議院議員の橋本聖子さんが選出された。オリンピックの申し子といわれるほどスケートや自転車で活躍した橋本選手だが、女性のメダリストが五輪の競技団体の会長になるのは初めてのことになる。スケート連盟にとっても初の女性会長の誕生になった。就任の記者会見では「スケート連盟の改革がスポーツ全体の改革に繋がるように努力したい。ありがたい仕事を頂いたと思っている」と意欲を語っている。
 現役時代の橋本さんは誰もが認める頑張り屋さんだった。今ではスピードスケートは種目によるスペシャリストの時代だが、当時はオールラウンダーとして一人で全種目を滑る選手もいた。オリンピック五冠のエリック・ハイデンがその代表といえるだろう。橋本さんもそのオールラウンダーにこだわり、毎度の五輪に全種目に出場していた。
 橋本さんは1964年10月5日に生まれた。その5日後の10月10日に東京オリンピックが開かれている。父善吉さんは国立競技場の聖火台のすぐ近くで観戦し、因んで「聖子」と名づけたといわれている。
 現役時代は次から次へと怪我をした。それでも記録を伸ばし続け、日本ナンバーワンとして「スケートの女王」であり続けたのだ。どんな状況の時でも素晴らしいマナーだった。負けた時にはインタビューを受けたくないものだ。そんな時でも、橋本さんは丁寧に言葉を選んで対応していた。いい意味での優等生だった。
 レースは常に全力を出し切る滑りだった。小さな体のどこにそんなスタミナが残っているのかと驚くがんばりを見せていた。長距離のゴールは必ずと言っていいほど氷上にのたうちまわるゴールインだった。最後のゴールまでにありったけの力を全て使い果たす凄まじい力走、優等生と頑張り屋が同居していた。
 橋本さんはアルベールビル五輪の銅メダリストだが、メダルは彼女の得意の種目で手にしたわけではない。1500メートルはメダルにはノーマークの種目だった。放送席で実況していた私は、ぎりぎりでメダルに残った瞬間、氷の神様が長いこと努力して頑張り続けた橋本さんにご褒美を授けてくれたようにも思えたのだ。五輪でやっとたどりついた表彰台で、橋本聖子に涙はなかった。あふれんばかりの笑顔に終始していた。「メダルはお世話になった方々のものです」と語った橋本さん、どこまでも健気な聖子さんである。
 不祥事の後を引き受けたスケート連盟の新会長、きっとがん張り切れるはずだ。期待しています。



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