Column No.174 (2006/05/10デイリースポーツ掲載分)
◎ タイガーの父の死

 タイガー・ウッズの父アールさんが今月3日、長い闘病生活の末、がんで亡くなった。74歳だった。父・アールの教えなくしてスーパースター・タイガーの存在はありえなかった。父を愛し、尊敬し続けたタイガーは4月の下旬からツアーを休み、看病をしていたが、今は深い悲しみの中にいる。ウッズはホームページで「父、コーチ、人生の師、戦士、夫、友人として素晴らしかった」と最大の感謝を述べている。
 タイガーのプロ入り直前からNHKのBSによる米ゴルフツアーが始まり、私たちも「天才少年ウッズ」を追い続けてきた。その頃、タイガーの紹介で父・アールさんの教育の逸話が数々あったことを思い出した。アールは息子に一才で小さなクラブを与えた。おもちゃのようなクラブを振る少年が新聞に紹介されていた。3歳で48をマークしたスコアーカードも写真入りで載っていた。自宅の車庫に手作りの練習場を作り、親子は遊び感覚で楽しいゴルフ練習を続けた。最初はパターから入ったと記憶している。タイガーの好きな「コーク」を駆けてパターゲームをやるのが待ち遠しくて堪らなかったようだ。勿論、タイガーがせしめることが多かった。アールさんはゴルフを教育の一つに考えていたようだ。仕事から帰る父を待ちかねていたタイガーだったが、学校の宿題が終わらないうちは練習は始めなかった。「けじめのある立派な人に育てる」という筋が一本通っている父の教育だった。
 「タイガー」の名は本名ではない。エルドリック・ウッズというごく普通の名前だ。アールはカンザス州立大を卒業して米陸軍に入隊、特殊部隊グリーンベレーの兵士として、ベトナム戦争に従事、「タイガー」の名は戦士した親友の名前を忘れないでつけたものだ。全米ジュニア3連覇、全米アマ3連覇して96年の9月にプロ入りするが、アマ時代はまだニックネームだったのか、私たちは放送で「天才少年・タイガー君」と呼んでいた。プロ入りから正式にタイガー・ウッズと登録したはずだ。因みに私の放送資料を紐解くと、プロ入りの8月28日から「タイガー」となっている。「世界のゴルフの歴史を変えた男」はウオール・ストリートジャーナルに宣言を発表してプロ入りした。「人種・文化のるつぼ・アメリカのような、色々な可能性や面白さのあるゴルフの試合をしたい」ネイティブアメリカン、アフリカン、白人、中国系、タイと様々な祖先の血が混じるタイガーは、当然の如く人種差別の中でゴルフをやってきた。パブリック育ちのスーパースターである。父アールは人として強く、立派なゴルファーになる教育をしたのだ。タイガーが本格的にゴルフの道に進むとアールは指導を本職のコーチに委ねた。いつまでも、娘のコーチをしたがるどこかの国の出たがりキャディとは違うようだ。



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