Column No.166 (2006/03/15デイリースポーツ掲載分)
◎ パラリンピック始まる

 9回目を迎えた冬季パラリンピックがイタリア・トリノで始まった。五輪に比べるとマスコミは騒がない。それでも、以前に比べると、少しは関心をもって貰えるようになった。夏の大会の競泳で成田真由美さんの金メダルラッシュがあったり、冬の長野大会の盛り上がりも印象に残っている。
 パラリンピックは福祉国家のイギリスに源を発する。イギリスの医師グッドマン博士は第2次大戦で障害を負った兵士達に「失ったものを数えるのはやめよう。残されたものを生かすこと」と諭し、励ましたことからスターとしたといわれる。病院で始めた競技会が国際大会になり、ローマ五輪の大会が夏のパラリンピックの第一回とされている。「パラ」とは「もう一つの並んだオリンピック」という意味である。もともとのリハビリテーションの大会が、今ではスポンサーがつき、放送権も締結され身体障害者にとって世界最高の技と力を競う大会になってきたのだ。ただ、障害の差による種目数が拡大され過ぎたのか、今回は種目数は大幅に減り58になっている。しかし、参加国が史上最多の39に増えたことは福祉がスローペースながら世界に浸透しつつあるということだろう。
 先日、夏のパラリンピックで数多くのメダルを獲得している成田真由美さんと一緒にある会で講演をする機会があり、久しぶりに旧交を温めた。「トリノのパラリンピックをもっと放送して欲しいですね。五輪を騒ぎすぎるから、なおさら寂しいです」アトランタ、シドニー、アテネと3回のパラリンピックを経験した成田さんだが、まだ挑戦は続けたいという。でも、体調がいいわけではない。股関節の手術を受けたばかりだ。彼女に会うたびにいつも身体のどこかの障害や病と闘っている。それでも、人に会うときに弱音を吐かない「障害と病気に立ち向かい、挑戦しているから、私は多くの人に会え、金メダルもとれたのです。もし私の足がなんでもなく、普通に歩けていたら今の人生はなかったでしょう」
 成田さんに会うたびに、こちらが勇気を貰う。今、冬のトリノに参加している選手たちは、みな、成田さんと同じような辛い経験をし、生きることの絶望を乗り越えた経験をもっているはずだ。選手たちはトリノの町で快適な環境で競技を行っているのだろうか。成田さんは「日本はまだまだ車いすに人も施設も優しくはありません」という。トリノの市長の話は興味ふかい。「パラリンピックの開催は建物のバリアフリーを進めるのに大きな効果がありました」



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