Column No.163 (2006/02/22デイリースポーツ掲載分)
◎ トリノ五輪によせて


 宮崎県日南市でプロ野球の取材を終え、温泉につかっていると、トリノ五輪についての会話が聞こえてきた。「オリンピックはもう一つ、盛り上がらんねえ」「日本人はどうも勝負弱いのぉ」「マスコミが、メダル、メダルと騒ぎ、わしらはそれに乗せられてるんじゃよ」
 トリノ五輪も後半に入ったが、前半、日本のメダルが確実とマスコミが騒ぎたてた競技で日本は次々とメダルを逸している。始まった頃は「夜中の生中継を見ていて、寝不足になり、どうも仕事にならん」という声が聞かれたが、このところはそうでもない。スタジオのキャスターたちの「メダルに期待しましょう」「注目しましょう」「頑張って欲しいですね」というありきたりの占めコメントが、なんともむなしく聞こえるのだ。
 そもそも、五輪中継とは「日本、がんばれ」だけを伝えるものではないのだ。4年に1度、世界の国々から集まるアスリートたちの真剣勝負と競技にかける思いを伝えるのが第一である。まして、冬の五輪競技は雪と氷という厳しい自然と闘う。しかも、選手は同じ条件では闘えないのだ。競技の順番で、雪、氷、風など、自然条件は刻々と変わる。抽選による順番も微妙に選手の心理に影響する。選手は「運」「不運」を受け入れて戦わねばならない。
 レースもので、私が五輪のマイクに向かった時の推理、
 その1は「世界記録保持者が勝つとは限らない、むしろ勝てないのが五輪である」
 その2、「意外性が冬の五輪、運を背負うこと」
 その3、「その日に一番コンディションがよく、最近の成績の好い者」

 マスコミの多くがスピードスケート加藤条治の金メダルを有力視していたが、私は加藤の世界記録は去年の11月、ジョーイ・チークは1月の世界スプリントの勝者、最近の出来はチークだし、韓国の李、ロシアのドロフェエフもW杯で好成績だったから、今回の結果は不思議でもなんでもないない、ありうることが起こってしまったのだとみている。加藤の不運は一本目にスターとを待たされ、整氷の状態にも不安を感じつつ滑らねばならなかったこともあるだろう。しかし、これが五輪の難しさなのだ。敗れた日本の選手が何人もインタビューに答えていた。「五輪の難しさを知りました」・・・
 4年に1度、その日に最高の状態で戦う。次の日にレースがあれば、違う結果になるやも知れないのだ。だから、五輪の金は尊いのだろう。まだ、勝者のいない日本だが、選手たちは責められない。どう立派に負けるかを見るのも五輪なのだ。責められるとするなら、「メダル、メダル」と騒ぎ立てたマスコミ、殊にテレビキャスターどもの見識のなさではあるまいか。



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