Column No.158 (2006/01/11デイリースポーツ掲載分)
◎ ふるさとでの再会

 正月はウインタースポーツが花盛り、駅伝、サッカー、ラグビー、バスケットとテレビ観戦で一喜一憂したファンは多かったことだろう。年始は珍しく仕事が入らずのんびりすごしていたら、鹿児島の仲間から、ゴルフコンペの誘いがあり、これ幸いとばかり初打ちに出かけた。東京生まれの私にとっての「故郷」は若い頃、転勤で過ごした地方都市といっていいだろう。豊かな自然と人情、東京や大阪での仕事を夢みていた私にとって、地方の人々との交友は支えであり、励ましだった。今でも、私のスポーツアナウンサーとしての財産は地方でめぐり合った「素敵な人々」である。
 ゴルフコンペを主催する会田彰さんは剣道八段、その道では知られた方だ。私の鹿児島時代、剣道の中継でいろいろと指導してもらって以来、35年の長いお付き合いになる。この会は会田さんの名前にひっかけて「快打会」といい、「ゴルフと焼酎を通して健康づくりと人の和をひろげよう」をテーマに年4回、37回になる。話し上手の先生は懇親会でスピーチのやり方を教えたり、知らない人と積極的に懇談をして欲しいと語る。ゴルフだけでないところが私は好きなのだ。
 懇親会の席で「私は昔、島村アナウンサーにインタビューされ、その時の写真を家宝のように大切にしています。高校時代、玉龍高校のピッチャーでした」「児玉君、そう、確か、延長18回の引き分けと再試合を闘った時のピッチャーじゃないの」「はい、覚えていらっしゃいますか」走馬灯のように、30数年前に思いを巡らせた。「コントロールのいい、なんとなく抑えてしまうピッチャーだったよねぇ」
 昭和45年春の鹿児島県高校野球、決勝戦は玉龍高校と鹿屋工業、延長18回の引き分け再試合の放送は私にとっては、後にも先にもこれだけ、後の甲子園でも経験はない。再試合も児玉君と鹿屋工業の中島君が好投して熱戦を展開、確か、鹿屋工業が2本のホームランで逆転勝ちしたように記憶している。
 35年ぶりに再会した児玉投手は加世田高校の先生になっていた。「あの時、インタビューしてもらったのは一生の思い出なんです」と何度も何度も熱く語った児玉先生。
 私も若い鹿児島のアナウンサー時代を思い出し、懐かしさがこみ上げてきた。こんな瞬間があると、スポーツアナウンサーもまんざらではないと思うのだ。そして「ふるさと」の温かさを感じるのだ。
 今年の仕事初めは全豪オープンテニス選手権、あすから真夏のメルボルンに向かう。今年も「思い出づくり」のマイクに向かう。



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