Column No.155 (2005/12/07デイリースポーツ掲載分)
◎ 山本英一郎さんを讃えて

 アマチュア野球の国際化に尽力された山本英一郎さんに感謝する集いが今週の月曜日、都内のホテルで開かれた。野球界での交際の広さから、海外も含めて700人をこす関係者が集まり、野球界の発展に尽くされた山本さんの功績を讃え、親交を温めた。私も高校野球の解説や国際大会でお世話になったのでお祝いに駆け付けたのだが、懐かしいアマ、プロの方々に数多くお会い出来、心和むひと時を過ごさせて貰った。山本英一郎さんは今年で日本野球連盟、全日本アマチュア野球連盟、アジア野球連盟、国際野球連盟の要職を退任された。この会はご本人の挨拶にあった「卒業式であり、お別れの会のつもり」なのだそうな。
 山本さんは若い頃、慶応大学でプレー、アマチュア野球の審判をかわきりに、野球の国際舞台での発展に身をおき、人生をかけて野球の振興に勤められた。殊にキューバを始めとする中南米諸国通として知られ、カストロ首相と親交を深めてきた。53歳でスペイン語を学び、野球の国際化に飛び回ったので「世界を駆けるライオン丸」と呼ばれた。銀色の長髪がトレードマークだった。
 野球の普及でいえば、マイクを握っての解説は立て板に水の如き名調子だった。アナウンサーが何を聞いても答えてくれた。それこそ天気予報を聞いても会話が弾んだ。ほめ上手で温かみが溢れている。何よりも、予測の素晴らしさは天下一品だ。昭和48年春センバツ、準決勝の作新学院対広島商業戦の読みを私はいまでも鮮明に覚えている。怪物江川を倒す策として広島商業は選球眼とファウルで粘りに粘った。終盤、ランナー二塁のチャンスがやっと巡ってきた。解説の山本さんは「ここで、思い切ってランナーは三塁に走ったら面白いですよ」その直後、ランナーは走った。
小倉捕手のサードへの送球が逸れた。三塁側、広島商業のリポーターだった私は目の前を通過する白球と応援団の大歓声の中、山本さんの推理解説にただ、ただ脱帽するだけだった。こうして、怪物江川は倒れた。
 挨拶に立った山本さんは「私は三つ遣り残したことがあります。一つは甲子園の高校野球に選手村をつくって、皆、平等に過ごさせたいと佐伯達夫さんと約束したこと。二つ目は野球を一つの団体ににし、他のスポーツとも共存すること。三つ目はオリンピックから野球が外されること。この三つを、ぜひ私のあとに続く人々でやって欲しい」
 山本英一郎、86歳、まだまだ「お達者」です。



--- copyright 2001-2005 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp