Column No.138 (2005/08/10デイリースポーツ掲載分)
◎ 一野球部だけではない

 今日、この日、甲子園の高校野球の第3試合が行われている時間を高知・明徳義塾の選手たちはどう過ごしているのだろうか。甲子園を目指す地方大会の決勝戦で敗れたティームの選手たちは、まずテレビで観戦はしないのがほとんどだと聞いてきた。まして、甲子園での組み合わせも決まり、甲子園練習もした明徳義塾の選手たちは、その後喫煙と部内暴力が匿名の投書で発覚、出場辞退となったのだから、今日一日はあまりにも酷な長い一日を過ごすことになるはずだ。
 事の経緯はすでに報道されているので、改めて述べることはしないが、これは単に野球部だけの隠蔽しようとする従来からの体質だけではないのだ。まして指導者は「甲子園の頂点を極め」「星稜・松井への敬遠策」、「横浜・松坂との対戦」など甲子園の歴史に名を残すティームを作り上げた監督である。それ以上に問題なのは、馬渕監督が明徳義塾の教頭職という、教育者、学校経営者の重要な立場にあるということだ。「選手のために何とか丸く収めよう」と考えたと話しているが、教育者であるなら、この考えは許しがたいことと言わざるをえない。
 暴力、喫煙、飲酒、いじめなど高校生活のなかでは、注意しなければならないハードルは様々ある。これらの問題で処分を受けたスポーツ選手は、過去数え切れないほどあるはずだ。部活動をしていない高校生は注意ですむだろう。しかし、公の場に出て行くスポーツ選手はそれでは許されない。全ては指導者の意識にかかっている。入部した時に必ず注意はしているはずだ。それでも、毎年のように起こるのは、高校の教員が人間教育に甘いからではあるまいか。タバコをすい、酒をのみ、いじめに類する暴力をふるえば、どうなるのか、スポーツの技術を教える以前に厳しく諭す問題である。今回の事件だけを追及しているのではない。全ての学校関係者と生徒の問題なのだ。
 明徳は高知市の近く、太平洋に面した須崎市にある。海の隣とはいいながら、高い丘陵の底に人里はなれた環境の中、全国からの留学生が集まり、寮生活をしている。昔、甲子園を放送していた頃、取材に行き「ここは別世界だ」と驚いたものだ。、環境は整っていても、親元を離れた選手たちに精神的なケアーはできていたのだろうか、部員は毎年のよう百人を超えているはずだ。野球の技術や勝負より、一人の人間としての教育をして欲しい。
 馬渕さんは「野球の指導はもうやらない」といっているそうだが、違うのではないだろうか。その前に教育者、学校の管理者として今後生徒とどう関わるのか自らに問いかけて欲しい。そして、野球で償いをして欲しい。
 明徳の選手たち、悲しい、辛い今日という日をぜひ乗り越えて欲しい。



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