Column No.136 (2005/07/27デイリースポーツ掲載分)
◎ 名将の素顔

 オールスター第1戦の5回裏、今年野球殿堂入りした3人の表彰式が行われた。マサカリ投法の村田兆治、V9の名捕手、日本シリーズ優勝6回の名将・森祇晶、野球放送の道を切り開いた名アナウンサー志村正順、私はオールスターの試合そのものより、表彰式を見届けたくてその日西武に出掛けた。まだ若々しく140キロを投げる村田さん、柔らかい表情になった森さん、お2人とはNHK時代マイクをともにして野球を教えてもらった。志村さんは雲の上の大先輩、アナウンサーが殿堂入りするなんて、やっと日本でもこの仕事が認められたのだと、我がことのように嬉しい。
 森さんの野球殿堂入りを祝う会が2日後の日曜日に都内のホテルで開かれ進行役をさせてもらった。森さんの素顔は世の中に知られている野球人としてのイメージとはまったく違う。細かい心配り、友情を大切にし、話出したらとまらない野球好き、パーティも親しい人だけの140人、ノーネクタイとアットホームな雰囲気だった。森さんの人となりと野球に関する話の中で「なるほど、なるほど」と思える挨拶が数々あった。師と仰ぐ川上哲治さんは「母思いの親孝行な選手だった。野球博士と私は呼んでいた。メモをよくとった。現役引退の時、ノートは50冊を超えていた」監督になってそのノートのメモは大いに役立ったはずだ。森繁和中日コーチは「育てるのは難しいことではない。選手たちとの接し方を考えろ」と教わった。潮崎哲也投手は「大差がついていても、まだまだわからんぞ」と口癖のように言われた。辻発彦選手は「自分のミスで試合に負け落ち込んだ。夜中に監督から電話があった。お前のお陰で勝った試合はいくつもある。誰も悪くは言わないはずだ。信じているから明日はずすようなことはしない。ゆっくり休め」。
 森さんはこの会に現役選手はシーズン中なので声を掛けない心配りをしました。でも、ただ一人「わいはどうして出たいんや」と清原選手がやってきました。あの西武の黄金時代、森さんが最も信頼していたのは清原でした。理由は「清原はいつも自分の成績よりティームのことを考えているから」挨拶で清原は「野球以上に生活のあり方を厳しくいわれました。打てない時でも、笑っていればいい。4番は絶対にはずさないから。敵に弱みは見せるな」3時間近いパーティの間、清原はほとんど飲み食いをせず、壇上の森さんをじっとみつめていました。
 誰もが挨拶で「ハワイで悠々自適はまだ早い、もう一度指揮をとって野球の素晴らしさを見せて欲しい」と。



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