Column No.134 (2005/07/13デイリースポーツ掲載分)
◎ 野球の国際化とは?

 2012年の五輪はロンドンに決まったが、野球とソフトボールは五輪種目から外されてしまった。ヨーロッパでは如何に野球に無関心かは、アテネ五輪を見れば一目瞭然だった。ヨーロッパやアフリカに野球を普及させることは時間がかかるし、難しいのかも知れないと悲観的にならざるをえないのだ。
 野球の国際化は長いことアマチュア関係者が国際大会の開催や技術指導、協力などで取り組んできた。しかし、五輪にプロが入ってきてからは野球の普及がMLBの参加を促し、最高のプレーを見せることで野球への関心を高めるという違う理屈にすりかえられてしまったような気がするのだ。野球の面白さや素晴らしさを知らせるのは、何もテレビマネーのからんだプロ参加の五輪だけではないはずだ。アマチュア野球連盟が地道にとりくんできた野球の国際化を少しづつでも続けていけばよかったのだ。
 私は以前から言い続けているように、プロだけの五輪は絶対に許せないのだ。「ナガシマジャパン」はオールプロだった。アメリカ大リーグはシーズン中だから参加しない。これは産業として正しいことなのだ。NBAはシーズン外だからオールスターを組んでドリームティームで出してくる。シーズン中ならプロとしての自分たちの「仕事」を放棄してまで金メダルに固執はしないはずだ。
 つまり、五輪はもともとアマチュアのためのものである。野球が五輪に参加し認められるまで、アマチュアの関係者の努力は並大抵のものではなかったはずだ。ロサンゼルス、ソウルは公開競技の扱いだった。野球の盛んなところで開かれたからインパクトはあった。
 ロスで金を獲った夜、リトル東京で関係者と喜びあったことが昨日のことのように思い出される。バルセロナ、アトランタは正式競技に認められ、アマチュア選手だけで戦い『銅』と『銀』だった。アトランタの銀メダルの瞬間を私は実況した。松中のキューバ戦の同点ホームランは今でも鮮烈に覚えている。今、プロ野球の主力としてプレーしている選手はアマだった。そのことが大事なことなのだ。
 何年もかけて全日本を作り闘うことが団体スポーツの基本だろう。それを崩したプロの五輪などで真の野球の素晴らしさを伝えられるはずがない。五輪のプロ化を認めてしまったアマチュアの関係者にも一端の責任はあるだろう。しかし、決まったことは仕方が無い。野球の国際的な普及はどうするのか、五輪だのみの安易な方法でなく、もう一度、原点に戻った方法で野球の素晴らしさを普及させて欲しいのだ。
 それにしても、イチローは見識がある。「五輪はアマの中の最高のもの、また、アマのものになればいい」と語ったとか・・・・。



--- copyright 2001-2005 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp