Column No.115 (2005/03/02デイリースポーツ掲載分)
◎ 故郷は遠くにありて

 1ヶ月に及ぶキャンプが終わり、プロ野球12球団はオープン戦に突入した。普段、公式戦の行われない球場でオープン戦が行われ、しかも生まれ故郷であれば、選手や監督、コーチにとっては感慨もひとしおである。
 先週の日曜日、西武ライオンズ対福岡ソフトバンクホークス戦が熊本市の藤崎台球場で行われ、私も今シーズンの野球中継の初放送でJスポーツ(CS)のマイクを握った。なにしろ、長いことダイエーホークスといい慣れていただけに、「必ずソフトバンクということ」と何度も何度も自分に言い聞かせていたのだが、1回表のソフトバンクの攻撃が終わり、コマーシャルになった途端、三木ディレクターのダメのサインが厳しく届いた。「島村さん、もう2回もダイエーと言っています」
 熊本藤崎台球場はセンターのスコアーボードを中心に天然記念物に指定されている5本のくすのきがシンボルになっている趣のある球場である。去年、新人監督として見事日本一に輝いた西武の伊東監督は高校時代以来、この球場にやってきた。「現役時代にやりたかったですね」と目を細めてタイムトンネルをさかのぼっていた。長い現役の23年間で一度もプロとしてプレーするチャンスがなかっただけに、この日を一番待ち望んでいたのは伊東さんだったのだ。高校3年の夏、、伊東さんの熊本工業は、ソフトバンクの2軍監督になっているホームラン打者だった秋山幸二投手と対戦、勝負を決めるホームランを打って甲子園出場を決め、甲子園で大活躍した。「甲子園は島村さんにしゃべってもらいましたねぇ」「年を感じてしまいますよ。秋山から打ったホームラン、どこへ飛んだんですか」「レフトスタンドのあの看板のあたりですよ。照明が入ると、とくすの大木とのコントラストが美しいんですよ」
 ソフトバンクの去年の三冠王松中信彦も八代一高時代、ここでプレーをしている。「藤崎台の思い出ってあるんでしょう」「僕にはここは、右打席からの風景しかないんですよ」「えっ、右打者たったの」「高校2、3年は右でした。3年の夏、県大会の3回戦で負けました」三冠王・松中が涙したのも、遠い日の故郷の球場だったのだろう。
 この試合、伊東監督は4対1で快勝、松中も2安打、八代東出身の野田捕手も追加点の犠牲フライ、熊本市立商出身の馬原投手も2回を四三振に押さえ、それぞれが「故郷に錦」を飾ったのだった。



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