Column No.104 (2004/12/01デイリースポーツ掲載分)
◎駅伝の季節到来


 今年も駅伝の季節がやってきた。これらは毎週のように各地でタスキへの熱い思い戦いが繰り広げられることになる日本独特のレースも、今では国際的な「エキデン」として認められる時代になったろいえよう。
 アナウンサーを40年以上やってきた私だが、もし駅伝の放送に出会わなかったら、私はアナウンサーになっていなかったかもしれない。昭和39年、NHKの新人として鳥取放送局に配属された私は、嫌々マイクの前にいた。毎日が苦痛だった。ディレクターになりたかったからだ。当時、鳥取と米子を結ぶ2日間の駅伝があり、ローカル局としては異例のラジオによる実況生中継をやっていた。先輩アナのお手伝いで、私は第2放送車に乗り、2日間見よう見真似でしゃべった。放送が終わりマイクを外した時、心地よい充実を感じた。スポーツ放送は言葉で思いを語り、感激や感動を共感することが出来ることを知った。
 放送車の運転手さんが声をかけてくれた。
 「島ちゃん、先輩よりよかったよ。嫌がらずにアナウンサーやってみたら?」
 私のアナ人生のスタートは駅伝放送だったのだ。以来駅伝の季節になると心が騒ぐ。コースを歩く下見、ティームや選手の取材、データ集め、煩雑で労力のいる準備、雨、風、寒さとの戦い、厳しい放送だからこそ、終了後の喜びも大きいのだ。
 高校、都道府県、箱根と、どの駅伝にも「タスキを受け継ぐ心と友情」があふれている。
 今年、年末の京都の高校駅伝も逃せない。新潟県中越地震で被災に遭った高校ランナーたちが、ハンディをものともせず、都大路の切符を手にしている。長岡市の中越高校の男子が新潟県大会を制し、7年連続の出場を決めた快挙である。避難所から通った選手、家の片付けに追われ駅伝の練習どころではなかったと伝え聞く。余震の続く中、11月1日から練習を再開、12日の新潟県大会で見事、中盤からの逆転で代表権を得たのだ。心と心を結ぶタスキは時として、何倍もの力を生み出すことがある。一人が走るマラソンと違った興味はティームワークであり、作戦であり、指導者のリードである。レギュラーも補欠も裏方さんも、心ひとつで「一本のタスキ」にかけるのだ。
 年末の都大路に向かって、中越高校のランナー達は、今、被災地を走っているはずだ。地元の希望を背負って・・・・・



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