Column No.103 (2004/11/24デイリースポーツ掲載分)
◎約束のメダル

左は私、右が成田真由美さんです


 「12月中旬には、ライバルであり、友達だったカイ・エスペンハインの墓前に金メダルを届けるためにドイツに向かいます」
 アテネ・パラリンピックの水泳で7つの金メダルを獲得した成田真由美さんの祝賀会が21日の日曜日に横浜市のホテルで行われたので、私もお祝いにかけつけた。4年前のシドニー・パラリンピックで6つの金メダルに輝いた時、私は彼女をテーマにした「笑顔と涙をありがとう」という本を出版したので、その頃からのお付き合いになる。
 会場のホテルには、彼女が獲得した金メダルが並べられていた。彼女はアトランタ、シドニー、アテネの3大会に出場し会わせて20個のメダルを手にしている。全部で21種目に出て金15、銀3、銅2である。
 指名された挨拶の中で、私は彼女に質問した。「21種目、どんなレースだったか全部覚えていますか?」「勿論です」「では、アトランタの50メートル平泳ぎはどうでしたか?」「カイに負け、唯一メダルを逃し、4位だった私にとって最も悔しかったレースです」
 成田さんは中学生で、突然脊髄炎を患い、両足が不自由になる。車椅子の生活の中、水泳に希望を見出しパラリンピックを目指すが、交通事故、心臓疾患、肩痛、子宮筋腫と次々にアクシデントや病に見舞われるが、ファイトと勇気でパラリンピックに出場する。初めてのアトランタでドイツのカイ・エスペンハインに出会い、同じような境遇で戦うカイとの交遊が始まるのだ。アトランタではカイが優勢、シドニーではカイの病が進んだことと、成田さんの「プールで死ねれば本望」という猛練習でカイに圧勝した。そして、病の進んだカイは2年前に亡くなったのだ。成田さんにも波乱はあった。投薬で25キロ太り、面会謝絶の危機もあった。持ち前の強い意思と頑張りで、彼女は再起したのだが、アテネに向かう祭、「金メダルは2つはとりたい。1つは私、もう一つはカイのために・・・・・」
 祝賀会で挨拶した彼女は「いろんな人に、色んなものにありがとう、ありがとう」と、何度もありがとうをくり返した。ドイツ・ライプチヒのカイの墓前で、彼女はきっと語りかけるに違いない。
「ありがとう、カイ・・・・・」



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