Column No.98 (2004/10/20デイリースポーツ掲載分)
◎指導者の顔

 先週の日曜日、TVをつけると北京国際マラソンの中継をやっていた。レースはもう中盤を過ぎており二人のランナーが激しい先頭争いを演じていた。一人は日本人だ。「昔、どこかで見たランナーだな。誰だったかなぁ」実況アナウンサーが「櫛部静二、30キロを過ぎて、スパート!」と興奮気味に叫んだ。
「櫛部はまだ走っていたのか」と、正直驚いた。早稲田からSB食品と注目を集めながら、もう一つ大きな花を咲かせることはできなかった。「櫛部は昨夜九時に北京入りしました。五時間しか寝ずにこのレースに臨んでいます。昨夜は箱根駅伝の予選会のコーチとして学生を指導していました。城西大学は予選を通過、箱根に出場します。昨日までは指導者、今日はランナーです。市民ランナー並みの練習しかしてないのではないでしょうか」実況の中村秀昭アナウンサーが伝えた。
 私は急いで箱根駅伝予選会の新聞記事を探した。36校が参加、9校が予選通過という厳しいレースで櫛部コーチが指導する城西大は8位に入っていた。喜びの祝杯も慌ただしく彼は北京入りしたはずだ。
 櫛部は「悲運のランナー」だった。期待されて瀬古コーチの率いる早大に入学、一年で箱根の最長区間二区を任された。風邪をひき体調を崩した影響が最後に出て、残り3キロから歩いた。その後の活躍もあったのだが、櫛部というとあの苦悶の表情を思い出す。
 トップにたった櫛部は大きなリードを奪うが、しばらくして苦悶の表情に変わった。腹痛が始まったのだ。櫛部は追い上げてくるランナーに次々と抜かれていった。しかし、実際の映像にはあまり映らなかったこのマラソンは男女同時だったので女子に画面がきり変わってしまったからだ。ゴールのカメラが待ち受けた。なかなか櫛部はこない。「棄権してしまったのではないか」と不安がよぎった。長い時間が経過するようにもどかしかった。しかし、櫛部は走りぬき8位でゴールした。
 インタビューに答える櫛部選手はさわやかで、ランナーというよりコーチの顔だった。スターにはなれなかったが、きっといいコーチになるだろう。学生は戦い抜く心を感じたはずだ。



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