Column No.90 (2004/08/04デイリースポーツ掲載分)
◎女子バスケ壮行試合

 日曜日(8月1日)の東京・代々木第二体育館はバスケットファンの歓声に包まれていた。アトランタ五輪の出場を決めた異本女子バスケットボールチームの壮行会を兼ねたキリンバスケットがが行われ、私も放送席からある感慨をもって実況していたのだった。
 対戦相手のブルガリアは日本の女子バスケットにとって因縁浅いからぬ相手だった。1976年のモントリオール五輪、初めて五輪に出場した日本は世界の高さと戦うため、尾崎正敏監督は「忍者ディフェンスとマッハ攻撃」をキャッチフレーズにメダルを目指した。要するにディフェンスを激しく変え、速攻をかける「走るバスケット」である。アメリカ・カナダに連勝、チェコには敗れたがブルガリア戦に勝てばメダル濃厚という状況だった。最終戦のロシアは2M24センチのセメノワという怪女がいるのでどうにもならない。ブルガリアに勝てば得失点の関係でメダルは確実だった。
「尾崎ジャパン」は前半、13点をリードする。しかし、そこから勝ちを意識したのかミスが目立ち焦りが出た。ブルガリアのエース・ストヤノワを押さえられず無念の逆転負けを喫したのだ。このとき、日本は5位、もし勝っていれば銀か銅だった。
 日本のバスケットの歴史も人気も変わっていたことだろう。若かった私は、放送席で「にっくきブルガリア」を心に刻んだものだった。
 時移り、そのブルガリアを抑えた壮行試合、今の選手たちや首脳陣はその時のことは知らない。仙台、山形に続いてこの試合も日本は快勝した。主将大山の無得点、合わせるプレーのミス、シュートの確実性など改善点はあるにせよ、走りきるバスケット、高い相手に対するゴール下の身体を張ったプレーなど内海監督のティームづくりを選手は忠実に実行しようとしていた。五輪2度目の浜口、大山、永田、結婚し続けてきた楠田(旧姓川上)ら、日本を支えてきた彼女たちに、是非有終の美を飾ってもらいたいと願っている。最近の選手は環境にもお金にも恵まれ強化が進んでいる。今年、日本はアメリカ、カナダ、欧州と三回の遠征とブルガリアの招待試合、10次に及ぶ合宿をこなしてきた。彼女たちのファイトとひたむきさを讃えるとともに、恵まれた環境に感謝して、アテネを戦い抜いてほしいのだ。



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