Column No.61 (2004/01/07デイリースポーツ掲載分)
◎アテネ五輪への警鐘

 アテネ五輪の年が明けた。いまや五輪は巨大ビジネスと化した。また、TV五輪となった。五輪の進む方向はこれでいいのかと言われつつも、この道を変えることはないのだろう。しかも、ますますプロ化が進んでゆく。サマランチ会長の時代に始まった「五輪は最高のプレーヤーの舞台」をつき進んでいる。この流れも変えることは出来ないのだろう。
 もっとも、個人種目に関しては、「ステートアマ」と言われ、国家からの保証を得て、競技することで生活が保証された時代があった。いまは、スター選手になればスポンサーがつき生活も安定し競技に打ち込める。一般的にも、競技生活の環境は以前とは比べものにならないほど、豊かになったといえるだろう。問題は、プロ組織が存在する団体スポーツにある。バスケット、サッカー、野球などだ。アメリカのお家芸バスケットが、バルセロナ五輪からドリームティームを作り、NBAのスター軍団を派遣したことから、この方向が展開された。NBAの国際化はヨーロッパの選手も含んでいるため、五輪の時は祖国に帰ってプレーをする。勿論、欧州各国ではプロリーグが盛んだ。バスケットに関して言えば各国ともアマチュアの出る幕は完全に閉ざされてしまったのだ。
 いま、私はCS放送でNCAA−アメリカの学生バスケットを放送しているが、学生レベルでどんなに旨くても五輪の道は閉ざされているのだ。つまり将来NBAに進み、そこで活躍して五輪に出ろという図式になったのだ。ロサンゼルス五輪で、マイケル・ジョーダンがノースキャロライナの学生で出場し、その後プロ入りし、スターになっていく道とは逆の方向になったということだ。
 長嶋全日本で話題の野球もいまその方向に進んでいる。時代がそうさせたのではあるが、「アマチュアの夢」というのはどうなるのだろう。「五輪に出るのはプロになって、スターにになってから」では、あまりにも遠すぎはしないだろうか。
 五輪の原点・アテネの年、メダル、メダルと騒ぐだけでなく、五輪のプロアマ問題も、真剣に考えて欲しいのだ。



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