Column No.07 (2002/12/06デイリースポーツ掲載分)
◎五輪での野球のあり方

 先日、友人の結婚披露宴で五輪監督に就任した長嶋茂雄さんと全日本アマチュア野球連盟会長の山本英一郎さんに久しぶりにお会いした。野球の五輪除外案が先送りになった直後だっただけに、二人ともホッとしつつも、すっきりしないニュアンスの感想を伺った。
 野球が公開競技として、参加し始めたロサンゼルス以来、放送に関わってきた私としても、突然の除外は心外である。ただ、前会長のサマランチが五輪を巨大ビジネスに仕立てあげ、TVとスポンサーのために肥大化させ続けたツケが、こういう形で歯止めとなったことを、理解しなければなるまい。新会長ロゲは、肥大化を止め、IOCと競技団体の金権体質にクサビを打ち、新会長としての指導力を発揮したいとの現れが、今回の削減案となったのではなかろうか。
 私は、五輪の行き過ぎたプロ化には反対だ。五輪のスター主義は五輪の精神に反する。野球は、アメリカでも日本でもシーズンの大事なところと重なる。プロにとってはペナントレースが第一のはずだ。シドニーで優勝したアメリカは、3Aの選手がきちんとチーム練習をして優勝した。数日間だけスターを集めて五輪で野球をすることは、野球そのものを否定することになるとなぜ思わないのだ。
 他の団体競技は五輪のために練習や合宿を長期間行い、ティームを作りあげてくる。スターを数日集めても、真の野球の素晴らしさは五輪で出せまい。バスケットのNBAが、五輪のバスケットをつまらなくしたと私は確信している。プロ野球の最中なのに日本の悪しき五輪至上主義に加担することはない。プロが出るならその年は春からずっと全日本として行動すべきだ。アマチュア側もスポーツは力や技だけではないことをもっと主張して欲しい。
 スポーツは、栄光を得るまでの過程が大切なのだ。アメリカまでが存続との引き換えに大リーグの参加を口にしてしまった。野球の真の素晴らしさはティーム力、ティーム愛。それを五輪で出さないなら除外されてもいたしかたあるまい。



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