スイミングマガジン・「2012年08月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(08月号)
◎ 私流・五輪テレビ観戦論

 オリンピックアナウンサーだった頃の私は、五輪は見るものではなく、放送席から伝えるものだった。大会が始まる前の今頃は海外から取り寄せる新聞、雑誌、写真の整理に追われ、それこそ寝る間も惜しんでデーターや情報を纏める作業をやっていた。何しろ、今のようにインターネットさえあれば、何時でも何処でも「万能の」魔法の杖は無かった時代だった。

 五輪に行かなくなって、観戦する側に回ると、自分の居場所がなくて戸惑っていたのだが、十年もたつと、ようやくテレビ五輪観戦にも慣れてきた。それでも、タレントや女子アナのはしゃいで、煽る姿には批判的である。テレビがスポーツジャーナリズムになれないのは、単なる「応援団」になるだけで、スポーツの素晴らしさを伝えているわけではないのだろう。

 私の五輪の楽しみ方、お勧めをお話しよう。五輪と世界選手権の違いは色々な競技が行われ、数多くの国と地域が参加することにある。そして、水泳界の動きだけでなく、様々な競技、国の現状、政治、経済、文化などが絡んでいる。五輪を凝縮したものは開会式だ。だから、ぜひ開会式を見て欲しい。そして、世界には「知らなかった」と思わず呟くような小さな国と地域が沢山あるのを知らされる。

 水泳だけでなく、自分のやっていない競技を積極的に見てみよう。昔、五輪の放送のスタッフだった頃、多くの優れた解説者の方々と一緒になった。皆さん、現役の頃はメダリストであり、日本のトップで、引退後、指導者の道を歩んでいる方々だった。皆さんに共通していたのは、自分の専門の競技以外を積極的に見に行かれることだった。どの競技も世界のトップが最高の力を発揮するのが五輪である。自分が解説する時間以外の空き時間を利用して、皆さん精力的に色々な会場に足を運ばれていた。「他の競技を見ることで、自分のやっている競技に参考になったり、ヒントを得られることが沢山あるんですよ」柔道の山下泰裕さん、小野清子さんの言葉が思い出される。

 水泳は、出来れば予選を見て欲しい。特に力の無い選手が泳ぐ、一組、二組目などだ。日本の中学や高校のレベルにも満たない選手が懸命に泳ぐ、それも五輪なのだ。予選は日本の選手が出場するところに興味があり応援するのだろうが、注目されない選手も「それぞれの想い」をもって五輪に参加しているのだから、丁寧に見るのもいいものです。それこそ、「世界は広いなあ」と実感出来るはずです。
水泳や陸上競技などのレースものは私流の楽しみ方のおお勧めで「相手の側、ライバルと思われる側」からも見てみることでしょう。日本人選手を応援していると、どうしても、日本の側からしかレースが見えなくなってしまう。相手の側に立って見ると、また違ったレースの読みが見えてくるかもしれません。スイマーの皆さんは、ぜひ、単なる応援者だけではなく、レースを推理して、予測して、解説者やアナウンサーを上回るレース展望をしてみてください。さすれば、もっと、もっと面白くレースをみられるでしょう。過去のデータは目安程度、一番新しい情報は、カメラが捉えた選手の仕草、表情、集中力を見極めてみましょう。さすれば、タレントや女子アナ、実況者、解説者を超えたレース推理が出来るかもしれませんよ。

 五輪はほとんどの選手が負ける舞台です。ほんの一握りの選手しか勝てません。「立派に戦った敗者」を伝えることが、五輪アナウンサーとしての私のテーマでした。金メダル実況は私にとって「付録」のようなものでした。

 ロス五輪の女子マラソンでフラフラになりながら、ゴールにたどり着いたスイスのガブリエル・アンデルセンの感動のシーン。バルセロナ五輪の陸上・男子400mの準決勝で優勝候補のレドモンドが途中て足がつり走れなくなり、コーチの父が肩を抱き抱えて足をひきづりながらゴールに号泣しながら二人三脚で歩いたシーン。バルセロナ五輪の男子マラソンで給水所で転倒し、それでも最後まで走りぬいた谷口浩美の「こけちゃいました」。

 五輪は最後まで全力を尽くした選手が勝者だと、私は思っています。素晴らしい勝負の一瞬を見極め、立派に負けた選手に拍手を贈る。私流「五輪観戦法」と「楽しみ方」やってみませんか。



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