スイミングマガジン・「2011年12月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(12月号)
◎ 「ゴッドブレスアメリカ」−スポーツを文化にー

 テキサス州アーリントンのボールパーク、グランド一面に巨大な星条旗が広がり、女性歌手は緊張感一杯でアメリカ国歌を歌いあげる。選手もスタンドのファンも頭を垂れ、胸に手を当て瞑想する。

 ベンチ横からスーツ姿の初老の紳士がキャッチャーミットとマスクを抱えて登場する。額は広くなり髪も白くなった。あのテキサスの速球王、奪三振王のノーラン・ライアン投手だ。今はこれからワールドシリーズを戦うテキサスレンジャースの球団社長を務める。その後ろに真っ赤なTシャツ姿のブッシュ元アメリカ大統領、ブッシュさんはマウンドへ、ライアンさんはキャッチャーズボックスへ。ワールドシリーズ第五戦の始球式はテキサスの顔であり、仲のいい二人のコンビで行われる。

 マウンドに上がったブッシュ元大統領はプレーとの少し前から、「いよいよ始球式だぞ」と恰好をつけることもなく、さつと、まるでキャッチボールをするように始球式のボールを投げた。テレビのカメラマンが映像をしっかり映せなかったほどだ。ライアン捕手はしっかり捕球して二人は肩を抱き合い讃えあって退場する。

 放送席の私は「本当は、ライアン投手のストレートを見たいなあ」と思いつつ実況していた。でも、「まてよ、ライアンさんが投げたら、ブッシュさんは獲れないだろうから、ピッチャーブッシュ、キャッチャーライアンにしたのだろう」と思い直したのだった。

 そういえば、今から16年前のオールスターはこのアーリントンで行われた。先発野茂英雄とランディ・ジョンソン、当時大リーグのストライキ明けで危機に面していたのを救ったのは、野茂英雄の活躍だった。開会式のあと、投球練習場からグラウンドに入ってきた野茂に、開会式に参列した子供達が皆飛びつくようにしてハイタッチで野茂を迎えたシーンを、今でも鮮明に覚えている。日本人選手がアメリカ大リーグに迎えられ、認められた象徴的なスタートだと、私は思っている。このオールスターの始球式は引退して間もないテキサス出身の速球王・ノーラン・ライアンだった。ワイシャツにネクタイのライアンはきれいなストレートをズバッと投げ込んだ始球式だった。「ノーラン・ライアン、まだまだ早いっ」と実況したのを覚えている。

 今年のワールドシリーズの五戦のゲストは解説に大リーグで活躍する福留康介選手を迎え、デ二―友利さんと三人で放送した。試合が七回に進むとスタンドの観衆は立ちあがり、選手もファンも一緒になって「ゴッドブレスアメリカ」を歌いあげる。「海原に、大平原に、山に、神の恵みあれ」アメリカを讃え、鼓舞し、神に感謝する。アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」に次ぐ第二の国歌とも言われる歌だ。放送席の福留さんもデ二―さんも私も一緒になって歌った。福留選手曰く「こうゆうところが、アメリカのスポーツは素晴らしいんですよねぇ」

 「アメリカのスポーツは文化だなぁ」と私も感じる大好きなシーンなのだ。始球式にしても格調がある。日本のように可愛いだけのタレントやらせたりはしない。場内アナウンスも言葉は少なく、要所で盛り上げる。主役は戦う選手だということだ。当たり前だと思うかもしれないが、当たり前でないことか、ままある。

 今年、水泳のビッグイベントで選手の入場を一人づつ呼んで、クローズアップするようになった。テレビを意識した演出で、「いいな」と私も思う。しかし、プロレスまがいに叫び、煽る場内アナウンスは、私は嫌いだ。今の若者はあれで「のりのり」になれると思うのかもしれないが、私には下品でならない。水泳はスマートな競技だと確信しているからだ。場内実況も煩く、邪魔だ。やるんなら、要所だけ、もっと効果的にやって欲しい。第一、泳いでいるスイマーには本当に効果があるのだろうか。競技会の第一は競技者のため、次が観衆のためだ。場内を盛り上げる為に「煽る」のは、頂けない。どうしても場内アナウンスに拘るなら、「一流」にやってもらうべきだろう。選手は一流なのだから。

 そりにしても、昔の場内は懐かしいし、よかったなぁ。ハイトーンで語尾を少し伸ばし、期待感に溢れていた。いいものは守り、続ける。そしてスポーツには格調が大事だ。大リーグで感心すること、とても日本では叶わないと脱帽するのは、野球そのものではなくセレモニーと雰囲気づくりだとワールドシリーズを中継していて実感したのだが・・・



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