●水の事故の多発に思う
連日三十度の半ばを超す酷暑が続いている。誰もが水に入って泳ぎたくなる季節だ。悲しいことに海や川で溺れたり、誤って転落して事故になってしまったニュースが連日のように続いている。子供の頃、池に魚を掬いに行き、誤って深みにはまり、アップアップして水の中でもがいたことを夢に見ることがある。「あの時、まだ泳げなかったのに、よく岸にもどれたな」と冷や汗をかき目が覚めることが何度かある。以来、水の恐怖があり、高校の授業で館山で水泳の訓練を受けるまで泳げなかったことを思い出す。今から五、六十年前はスイミングスクールもなかったから、子供たちは近くの川や海で見よう見まねで泳ぎに馴染んでいったものだ。流れ、風、冷たさなど自然を体感として捉えていた。自然の中で水遊びから泳ぎに移って行ったのだろう。勿論、身につけていたのは水着らしきものか、ふんどし、今の子供たちが室内プールの整った環境、ハイテクの水着、ゴーグル、コーチの指導のもとで「水泳」を始めるのとはわけが違う。今の方がいいに決まっている。でも、泳ぎは本来は身を守るものであり、自然の中で泳ぐことに原点はあるのだろう。泳ぎ始める時から「競泳」ではなく、「泳ぐとは」という原点を忘れないでいて欲しいのだ。
●五輪種目のオープンウォーター
なんで子供の頃の海や川での泳ぎの話をしたかというと、七月の下旬にオープンウォーター・ジャパンオープンのニュースを新聞で目にしたからだ。オープンウォーターは北京五輪から五輪種目に採用されている。七月十八日に千葉県・館山市の北条海岸沖での日本一を決めるジャパンオープン十キロレースでは、日大の秋元洸輔選手と貴田裕美選手が優勝している。
オープンウォーターは新しいものではなく、昔は「遠泳」といって「古式泳法」で行われていたという歴史がある。恐らく、戦国の世での「水軍」に遠泳は欠かせない戦いの一つだったはずだ。「のし」といわれる横泳ぎは遠泳に使われたのではないのだろうか。オープンウォーターという言い方はいつの頃からなのか定かではないが、1991年の一月、オーストラリアのパースで開かれた世界選手権の時は、確か「ロングディスタンス」といっていた。この時、十五分のダイジェスト放送をするので私たちスタッフは取材用の大きな遊覧船に乗ってレースの模様をカメラで収録する。インド洋に注ぐ美しい「スワンリバー」を往復する二十五キロ、「世界で最も美しい街」といわれたパースを流れるスワンリバーは青空の下、ゆったりと「白鳥」の姿をした川、男女四十六人の同時スタート、コーチの乗ったボートが選手を誘導しながらボードで記録を指示、笛をふいたり飲み物やバナナを渡したり、ボートに小さな国旗をたて、選手の登録ナンバーも記されていた。川沿いのコースはいい。海だと応援は届かないが,リバーサイドのコースだと川岸にはマラソンや駅伝の応援のように観衆が並び、声援を送り鈴なりの大合唱、なかには水着で選手のすぐ近くまできて応援する。ボートや遊覧船が選手を囲み、まるで「海のパレード」だった。
ゴールはマラソンと同じような全力を尽くした選手たちの「泳ぎ切った」満足感が何ともいえず素晴らしかった。室内のプールで行われる競泳のシーンとはまったく違う、自然と闘い、自然と過ごした「泳ぎの原点」がそこにはあるような気がしたものだ。
日本でもパンパシフィックのプレ大会として福岡で博多湾の海水浴場を使った国際オープンウォーター大会が開かれたことを思い出す。当時も競泳の自由形の長距離選手が参加していた。今回のジャパンオープンの女子で優勝した貴田裕美選手は八月のアメリカでのパンパシフィック選手権の日本代表であり、パンパシフィックのオープンウォーターにも出場するという。それはそれで頑張ってほしいとおもうのだが、これからはオープンウォーターをメインにする選手がふえて欲しいと期待したいのだ。勿論、オープンウォーターのレースが数多くあるわけではないから、陸上競技のマラソン、駅伝の選手のようには行かないことは確かだろう。ただ、プールの競技とは違い、ただ長い距離を泳ぐだけでなく、海や川という自然と闘うわけだから、気象コンディションを始め色々な条件をクリア―しなければなるまい。トレーニングの方法も、「オープン」用のものがあるはずだ。注目を集めるには、いまやテレビの力も借りられると若者の興味はますだろう。
「競泳からオープンウォーター」へ、五輪のメダルを狙う選手がふえて欲しいし、本格的にやる選手をもっと育成してほしいものだ。 |