スイミングマガジン・「2010年 8月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(8月号)
◎ アマチュアリズムの素晴らしさ

 「青年よ大志を抱け」札幌の北海道大学の構内に建つ創始者・クラーク博士の言葉である。北海道旅行をして北大のポプラ並木を散策する際、必ず立ち止まって記念撮影をする観光名所でもある。神宮球場の放送席で久しぶりにこのクラーク博士の言葉を思い出し、わが身に問いかけてみる。大志を抱き、ここまで来たのだろうか。忸怩たる想いで、溌剌とプレーする北海道大学野球部の選手の試合を中継していた。

 今年の全日本大学野球選手権大会に、国立大学の北海道大学が一回戦、二回戦に勝ち、なんと準々決勝に勝ち進んできたのだ。対戦相手の青森・八戸大学と大接戦を演じ、延長十四回を戦った。最後は劇的なサヨナラホームランで涙をのんだのだが、勝てば史上初の国公立大学のベストフォー進出という快挙になるところだった。

 放送していて何度か「青年よ大志を抱け」という言葉を思い出していた。自分は「大志」を抱いて人生に立ち向かったのだろうか。今どき若者はどうなのだろうか。この言葉は、もう死語に近いのだろうか。

 数日後、所用で福島県の猪苗代湖周辺をドライブした。すると、「野口英世記念館」があったので立ち寄ってみた。何しろお金にはあまり縁がないので、千円札の偉人「野口英世博士」にお会いしてみようと思ったからだ。子供のころ、「偉人伝」という本をよく読んだので、野口博士が大やけどをして治療してもらったことから医者になって人々を救いたいという話は知っていた。貧しい農家が復元されており、野口少年が大やけどをした囲炉裏も残されてあった。医学に志した野口青年が家を出るときに柱に書いた言葉が今でも残されている。「我、志をなさずんば、二度とこの地を踏まず」

 今の世代が忘れているか、そんな大げさなとかたずけてしまいそうな言葉だ。時代がそうだったといえばそれまでなのだろう。テレビドラマの「龍馬伝」の主人公も激動の時代だから大志を抱いたともいえるだろう。改めて、学生時代に愛読した「龍馬が行く」を読み直している私なのだ。

 神宮で戦った北海道大学の選手たちは、恵まれた野球環境で練習してきたわけではない。甲子園出場組や百人を超える大所帯の部員がしのぎを削る私立の野球部とは、真反対の立場にある北大。部員三十八人、甲子園組一人もなし、ほとんど浪人しての入学、中には高校で野球をやっていなかった選手もいる。しかも、ほとんどが工学部などの理工科系、夕方の練習に遅れる選手は朝六時から始業までの早朝練習をする。エースの一人、佐藤投手は工学部で金属の硬度を研究しており、エンジニアをめざしている。二浪して入部、エースなのにマネージャー役も掛け持ちし、合宿の手配やマスコミの取材の窓口までこなしている。チームとして全体練習ができるのは週に一度か二度ぐらいしかないそうだ。水産学部の選手は函館に学部があるので、往復五時間の列車の旅で練習に参加する。それでも野球をやりたいのだ。「弱者が強者に勝つには倒す工夫をしなければならない」という。効率よく練習計画をたて、個人練習を積み重ねる。全員そろう土日の練習に集中する。国立大学で勉強と野球の両立はさぞかし大変な努力を要することだろう。頭がいいから国立に入れたのだから、勉強は簡単だろう、などと勘繰ってはいけない。

 スイマーの皆さんのほとんどは恵まれた環境で泳ぎ、学校に行っていることだろう。皆さんのお父さん、お母さんは、きっと勉強もガンバレ、水泳もガンバレとはげましてくれるはずだ。高校生、大学生は何のために勉強をするのか、よーく考えて欲しい。いい大学に行き、いい成績をとり、いいところへ就職して安定した「普通の」人生を送る。これが間違っているとはいわない。「幸せな生活」を夢みるのも間違ってはいない。でも「何が幸せ」なのか、考えてもいいだろう。北海道大学の選手たちは、辛い環境の練習であり、勉学だけど、彼らは「幸せな時」を過ごしていると思うのだ。

 感心したことがある。今年のチームのキャッチフレーズを三カ月もかけて皆で議論し、意見を言い合って決めたことだ。答えは「神宮で勝とう」というごくあたりまえのことだった。札幌で昨年最下位だったチームが、一足飛びに「神宮で勝とう」でいいのか、全員で意見を戦わせ、三か月もかけて決めたことが「尊い」のだと私は思う。勉強もしっかり、大好きな野球は苦労して、工夫して頑張りぬく。あとは、彼らが人生にどんな「大志」をいだいているのか、今度であえたら聞いてみたいとおもっている。

 アマチュアスポーツの原点はここにある。スイマーの皆さん、感じてもらえましたか。



--- copyright 2006-2010 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp