スイミングマガジン・「2010年 6月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(6月号)
◎ 日本選手権のプールサイドにて

 水泳シーズンの幕あけとなる日本選手権、今年も東京の辰巳プールで行われたので覗いてみる。懐かしい顔に会えて久しぶりに旧交を温める。国際大会にあわせて六日間の大会、今回の焦点は高速水着に決着がつき、新しいスタートになってどうなのかが第一。北島康介の本格的復帰と背泳ぎの古賀、入江対決はどうかに興味が集まっていた。

 昨年は高速水着で二十個の日本新記録が出るという異常な大会で、正直いって私には面白くなかった。日本新記録は大安売りのように次から次へと出てしまったのでは価値がない。「めったに出ないから日本新は価値がある」と思っていただけに、選手の努力が水着のお陰になってしまいがっかりしていた。今年は三つの日本新の誕生。「これが普通だよね」と会う人ごとに会話した。アメリカなどの主要国との記録の比較はこの時期には早過ぎて出来ないので、結論はまだ先のことになりそうだが、内容の濃い、レースとして見ごたえがあり、記録の評価も高いものがかなり多かったのではないだろうか。オリンピックの中間年は新旧のスイマーの交代がスムーズに進んでいるかを占う意味でも重要な年になる。問題は女子だろう。青木剛副会長と久しぶりにお話をしながら練習を見ていたのだが、青木さんの危惧は女子のホープ、スター選手が見当たらないということだった。今年プログラムを見ていて気付いたのは、大学生や社会人が頑張っていて、競技年齢が上がってきたことだ。一頃の少女が活躍する水泳界という構図は確実に変化してきて、それはそれでいいことだと思うのだ。私が五輪や世界選手権を実況していた頃は、女子の大学生は少なく、「ベテラン」といってはご本人に嫌な思いをさせてしまったこともあったようだ。萩原智子さんの復帰や、稲田法子さんが頑張っている姿は尊いと思う。反面、女子の水泳界をリードするホープがオリンピックまでに、どうしても出てきて欲しいのだ。

 北島康介選手の復帰がこの日本選手権の大きな話題になっていた。テレビ、新聞などのスポーツニュースが連日、大きくとりあげたのも、金メダリストがあの二度のオリンピックの興奮を再現してくれると期待したからである。五十メートル平泳ぎの予選の日本新記録は強い北島の再現とマスコミは騒ぎたてた。ところが、決勝は立石に遅れをとり二位、それでもマスコミは「お疲れ」と見てか、心配はしていなかった。五十メートルは五輪種目ではないから、スピード練習の一環ともとれたかもしれない。二百平泳ぎのスタート前、テレビカメラがアップで北島の表情をとらえた時、私は「なんだか静かで、強い康介の顔ではない」ような気がした。もし、私が実況のアナウンサーだったら何んとコメントしただろう。少なくとも絶対の自信をもった「ゾーンに入っている」北島の目ではではないような印象だった。

 決勝のスタート前の選手の仕草、表情、動きに、その全てが凝縮されている。これからの北島康介選手が、次のオリンピックを狙うとするなら、彼はどんなモチベーションで臨もうとするのかに私は大きな興味を抱いている。少なくとも、今の北島選手と二度のオリンピックで金メダルを取った北島康介とは、同じ状態ではないということだ。恐らく、本人が一番わかっていることだろう。本来なら、だからそっとしておいてあげたいというところなのだが、「金メダリスト」に対してマスコミもファンもそうはさせてくれないだろう。これがスーパースター、金メダリストの宿命である。勿論、北島選手は、それを覚悟の上で復帰に踏み切り、厳しいトレーニングをしてきている。次は過去の二度の五輪、四つの金メダル以上に至難の業だと見ているのだが、これに挑戦できるのは北島康介だからこそ、やれる可能性があると見ている。それには、きっと、凄まじい境地と強烈なモチベーションが必要になるのではないだろうか。

 レースの翌日、北島選手と言葉を交わし、握手をした。私の感想は「静かな表情だったね」あのゾーンに入って、「かっと見開いた瞳」絶対の自信の表情を、次のオリンピックで、もう一度見たいものだと思っている。それまでは、あまり一喜一憂せず、北島選手の決意を信じて静かに見ていたいのだ。

 言い忘れてはいけまい。北島に臆することなく勝った立石諒選手に、もっともっと大きな拍手と期待感を送りたい。今度は立石諒選手の時代になっても、不思議でもなんでもない。



--- copyright 2006-2010 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp