「力があるのに結果がでない。勝負に勝てない。本番に弱い」などと言われる選手が世の中に沢山いる。逆にスーパースターといわれる選手を「天才だから」の一言で片づけてしまうこともよくあるのではないだろうか。
今年、アメリカ大リーグの放送をしていて、ここまでの焦点はイチローの大記録に集中されていた。イチローのその日の結果がメインで、「なおマリナーズは敗れました」なんていうバカバカしいコメントが日々氾濫していて、野球を個人スポーツだと勘違いしている放送に私はいささか嫌気がさしていたのだ。それでもイチローのインタビューにはいつも期待していた。スイマーの皆さんは記録達成直後のイチローの言葉を覚えていますか。私は新聞のイチローの談話をメモしながら「いつも、イチローの言葉はためになるなあ」と感服させられるのだ。
インタビューの中で最後に語ったイチローの言葉は興味深い。「打撃で、これという最後の形はないと思っている。これでよしという形は絶対にない。でも、今の自分が最高だという形を常につくっている。この矛盾した考え方が共存していることが自分の大きな助けになっている」打撃で、というところを泳ぎで、にかえてみればいい
だろう。
イチローはいつも自分を観察するもう一人のイチローがいる。レースに臨む自分を第三者として冷静に分析するもうひとりの自分を考えたことがありますか。私にも似たような感覚があって、放送席でしゃべっている自分は別の自分になりきっている。その自分を冷静に観察する自分がいて、何かあると制御したり煽ったりしているのではないかと思っているのだ。
イチローの快挙に対して、同僚の城島捕手が記者の質問にこう答えている記事が面白かった。「誰よりもイチローという野球選手を客観的に見ているのが鈴木一朗という人です。精神面、体調面など、自分のことを冷静に分析できるところが、イチローの最大の強みでしょう」
「イチさんは天才ではない。天才は自分を分析できないが、イチさんは自分のプレーを細かく分析できる人だから」という。イチローは天才ではないとすると、努力の人であることに間違いはない。イチローの試合への取り組み方をぜひ調べてごらんなさい。必ず、レースに臨む大きなヒントになるはずです。
天才と努力の言葉で思い出したスーパーヒーローがいた。年配の方なら、すぐに気が付く「ON」だ。先日、NHKのドキュメンタリーでONのロングインタビュー番組があり、懐かしく、また興味深く見させてもらった。一般的に長嶋さんは「天才」、王さんは「努力」の人といわれ、ONを語る上では恰好のキャッチフレーズになっていた。若い方は長嶋さん、王さんは伝説の人で監督のイメージかもしれないが、年配の方なら、監督としてよりバッターとしてのスーパースターぶりだろう。インタビューの中でミスターはー長嶋さんはこう呼ばれていたー、「あまり、いい選手じゃなかったね。天才だといわれたが、天才じゃない。ごく普通の人間です」
指導していたコーチの荒川博さんはこういう。「努力の塊です。荒川は王の師匠とされているが、長嶋は人に知られぬようにやってきた。練習は絶対、人に見せなかったから。練習に来るときはちゃんと体をつくってきた。習う姿勢が人とは違っていた」長嶋さんは「練習は見せるものではないのです。試合で初めて見せるものだから。いつも重荷と闘っていました。負けたらお終いだから」晩年は老いえの不安や孤独、人に打ち明けられないスターの苦闘があったと話された。天才ではなかったのだ。
王さんは努力家、人格者といわれた。若いころは努力もせずに遊んでいたと自戒する。それでも荒川道場に通ううち、「努力の人」になってゆく。「打席に立ちたくない。打席に立つのが怖い」という打てない日々も味わった。ぶざまな自分で、何が何だか分からないというスランプもあった。王さんにしてこんな心境があるのだから、記録が出ないとか、勝てないとかで悩むのは当たり前だと思うがいい。そして、たどり着いた境地は「いいことも悪いことも忘れて打席にたつ。自分が世界一だと思って」ホームラン王の王さんは目標は毎年40本のホームランだった。九年連続40本ならず、39本のホームラン王だった時、なんと王さんはインタビューで謝った。「ファンの皆さんに申し訳ない」
イチロー、ミスター、王さんの話の中に仕事や競技に役に立つ珠玉の言葉がある。私は自分が教える大学院の講義で、よく学生に話します。新聞を読もう。メモをこまめにとろう。特に指導者の方々は水泳以外の優れた指導者や選手の生き方に興味をもってほしいのです。能力を高めたり、勝負のあやとなるヒントは自分のやっていること以外のところに、気がつけは散らばっているでしょう。気がつかない人はそれだけの値打ちでしょう。 |