スイミングマガジン・「2009年03月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(03月号)
◎ みんな古橋さんについてきた−文化勲章受章祝賀会−

 一月十七日、日本水泳連盟名誉会長の古橋広之進さんの文化勲章受章を祝う会が都内のホテルで盛大に開かれ、水泳関係者だけでなく、スポーツ界、各界の方々約七百人が集まりスポーツ競技者として初めて文化勲章を受章された古橋さんを囲み、会場のあちこちで思い出話に花が咲く和やかな会となりました。文化勲章の受章者は古橋さんを含めて歴代でも三百四十一人、スポーツ界では誰もいなかったとなると、古橋さんはこの道でも開拓者ということになるのでしょう。
 古橋さんのユーモアー溢れる挨拶のさわりをスイマーの皆さんにも紹介しておこう。水泳を始めたのは小学校四年生の時、プール開きに感動してはじめたそうだ。あの頃、子供達は川や池、海で遊びで泳いでいたのだからプールは珍しかったのだろう。六年生で学童新記録を出した。才能もあったのだろうが、やりだしたらとことんやらないと気が済まない負けず嫌いの少年だったと想像できる。大学に合格したのは「アメリカ本土まで泳いで行けます」と答えたのが決め手になったと面白おかしくはなしてくれた。日本は占領下で神宮プールはアメリカ軍の管轄で使えなかった。大会を開きたいと交渉すると、「ふんどし」はダメだと突っぱねられた。街では海水パンツ(古橋さんに言われて昔は海パン、海パンといったことを思い出した)は戦後の混乱の時代で売っていなかったので、戦前のものを借り集めて、進駐軍に見せ、ようやく神宮プールでの大会を認めてもらったそうだ。その神宮プールや日米対抗、日豪対抗で古橋選手は泳ぐたびに世界新記録をマークした。その数三十三といわれるが、当時日本は戦争責任を問われ、国際社会から認められず、古橋の記録も公認されなかった。小学生だった私はラジオに聴き入って、古橋、橋爪のデッドヒートとアメリカ、オーストラリアの選手を一蹴する活躍に夢中になったものだ。
 「一日、三万メートル、引退するまで地球を一回り半泳いだことになります。魚になるまで泳ごうと人の何倍もの練習をしました。泳心一路の如くです」
 会場で懐かしい方々に何人もお会いした。古橋さんのライバル・橋爪四郎さん。「古橋と二人で並んで写真はとらんぞ」と古橋さんに負けず劣らず「お元気」。それでも古橋さんご夫妻と友人を交えて笑顔でポーズ、スマートでハンサムだった橋爪さんがなんで最後に古橋さんに負けるのか、子供だった私には不思議でならなかった。でも、忘れてはいけない。ヘルシンキ五輪の千五百自由形の銀メダルを橋爪さんは持っている。古橋さんは最盛期をすぎ、赤痢にかかって臨んだ四百自由形は最下位の八着、「古橋を責めないでください」の名アナウンスのように古橋さんにないものを橋爪さんは持っているのだ。
 背泳ぎの田中聡子さん(現竹宇治)も相変わらず、明るくて可愛らしいおばあちゃん?で元気一杯。百背泳ぎの東京四位、ローマ銅メダル。当時五輪に聡子ちゃん得意の二百はなかった。確か、四年間世界記録を更新し続けたから、間違いなく「幻の金メダリスト」なのである。
「島村さん、お久しぶり、お声を聞くたびに、母さん昔、島村さんと一緒に解説したのよ、と自慢するんですよ」と西側よしみさん(現村山)。メキシコ、ミュンヘン、モントリオールと三回の五輪出場。メキシコが五位、全米選手権の優勝が印象的で私にとってはスターだったのに、今でも明るく気さくなおばさんぽさが何ともいえずにいい。
少しお腹のでた早稲田のコーチ奥野景介クンも元気。私の息子と同じ名前が縁で、広島の高校生のころ、小学生の息子に水泳の指導をしてくれた。ものにならなかったのは指導者のせいだと思っていたが、五輪選手を育てた奥野コーチの指導成果をみて、答えがはっきりした。
「会いたがっている人がいるんですが」とハンサムな五輪選手だった柳館毅さんに呼ばれて人をかき分けていくと、車いすに乗った鶴峰治さんが奥様と息子さんをつれて、豊田市からやってこられていた。不自由な体になられたのによくぞ遠くまでと、眼がしら熱くなった。「鶴さん、元気だね、よかった、よかった」あとは言葉がでない。鶴さんも涙目だ。平泳ぎ東京五輪六位、メキシコ八位。尾道高校、中京大学の監督として、ロス五輪のコーチとしても数々の功績を残された。高橋繁浩さんとの師弟コンビは私には忘れられない思い出である。宴会をとりしきった愉快な話上手の鶴さんが体も言葉も自由にならないのはもどかしい。でも鶴峰さんは懸命に頑張ってお祝いに来てくれた。誰よりも大変だっただろう。柳館さんが「俺が守る」と言わんばかりに鶴さんの乗った車いすをしっかり握りしめてしていました。
あっ、忘れてはいけない。立派な挨拶をした岩崎恭子ちゃんも「お久しぶり」とお話に来てくれました。「水泳界はみんな、フジヤマのトビウオについてきたんだなぁ」と司会者としても心なごむ宴でありました。



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