スイミングマガジン・「2008年11月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(11月号)
◎ 第40回 北京オリンピック、その後

 オリンピックが終わり,敗れた者へのバッシングが行われている。「勝てば官軍」というフレーズがあるように、結果よければすべてよしとなるのは、勝負事のつねだ。しかし、敗れた者へのねぎらいがないというのに、私は腹立たしいう思いでいる。星野ジャパンがメダルを逃したことにテレビ、雑誌、新聞の踵を返したバッシングは余りにも酷過ぎはしまいか。野球はプロチームが行ったから「勝つのが当然」とさんざんマスコミは持ち上げた。無責任なテレビキャスターやタレント、評論家どものばか騒ぎに私は北京に行く前から不愉快に思っていた。前号でも書いたように、僅か三日間の練習と二日の強化試合で、もし金メダルをとってしまったら、それは野球というティームスポーツへの冒涜だと言いたかったのだ。だから、野球がメダルなしで終わった時、「野球の神様はよく見ているなぁ」と呟いたほどだ。勿論、日本ティームの選手たちが、ペナントレースでくたくたになり、数人の選手たちが怪我と闘いながら頑張ったことに敬意を表したことはいうまでもない。星野監督はろっ骨の骨折を押して指揮をとっていた。痛みと闘いながらさぞや辛い北京の日々だっただろう。三位決定戦に敗れた直後のインタビュアーの心ない質問、著名漫画家の言いたい放題、思いやる心なくしてペンや言葉をわがもの顔にあつかうことに、後味の悪さを感じたのは私だけだったのだろうか。
 そんなマスコミに、自分からテレビに出たいなどという金メダリストが、ユニークな発言で人気を集めている。受ければ何だってやるバラエティやニュースショウのテレビマンにはもってこいのタレントになる。真意とは違う「屁のツッパリにもなりません」という言葉だけが独り歩きしてしまうことを肝に銘じてほしいのだ。水泳のメダリストや選手たちはテレビの出演依頼にはよく内容を聞き、しっかり選択をしてほしいのです。マスコミは持ち上げてくれることもあれば、バサバサと切り捨て、品位を落とすようなことも平気でやってのけるのだ。今度の野球に対しての批判が象徴的といえるだろう。マスコミは「諸刃の刃」ということを、指導者はよく教えてほしい。勿論、スイマガだけは皆さんの味方ですが。
 宮崎県の延岡市へ講演に出かけたら、会場のホテルに松田丈志選手の銅メダルを祝う看板が迎えてくれた。松田選手が「ビニールハウスのプール」で練習していたことはよぉーく知られている。旭化成のレーヨン工場から海岸の方に向かうと東海・とうみ中学校の前にビニールハウスのプールがある。「自分色のメダル」の原点となる東海プールの古びた鉄骨、ところどころ破れ、風に揺れるビニールから中を覗ける。「おめでとう松田丈志・久世由美子コーチ」お祝いの文字が書かれているが、特に飾り立てたものでないのが、なんとも微笑ましい。「自分色のメダル」と言った松田選手の子供の頃の練習が想像されるようで心がなごむ。ビニールハウスのまわりは雑草が伸び放題。銅メダルとったからと言って変わらないところが、私には非常に気に入ったのだ。
 数日後、私が客員教授をしている国士舘大学のプールでシンクロの代表だった川嶋奈緒子選手の帰国報告会が行われた。川嶋さんは以前「マスコミ論」を講義したときの生徒で、一芸に秀でているものの素晴らしさを感じさせてくれた。この日はティームとしての演技ではなく、久し振りのソロだった。前回のアテネは銀メダルのメンバーだったが、この北京は各国のレベルもあがり5位とメダルを逃した。しかし、今回は最年長として若手をよくリードし、本人も「メダルには届かなかったが、自分のベストで泳げて満足でした」と挨拶した。五輪でのメダルは目標だが、ベストを尽くせるかどうかにアスリートとしての価値があるはずだ。川嶋選手を18年にわたって指導してきたアクアクラブ調布の中村コーチが彼女の選手としてのよさを話してくれた。「川嶋さんはこだわらないところがいいですね。失敗したり嫌ことがあっても、引きずらずに次に進める展開の早さ、だから泳ぎも柔軟性があるんですね」
 今年プロ野球のパリーグで西武ライオンズが、予想外の強さで優勝した。圧倒的なホームラン攻勢だった。指導した大久保打撃コーチの評価が高いのだが、川嶋さんへの中村コーチの言葉を聞いていて、大久保コーチの言葉をダブらせてみた。「反省したら十秒間で忘れろ」
 忘れてはいけないものもあるが、引きずっていては次に進めないことは確かだ。



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