スイミングマガジン・「2008年7月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(7月号)
◎ 第36回 スピード万能への警鐘

 「うっとおしい。なるようにしかならないから」
 記録の伸びる水着について度重なるワイドショーのリポーターどもの質問に北島康介は、うんざりしてしょうことなしに答えた。本心は記録会の後で話した「速いんじゃないの。選手なら誰でも速い水着を着たいのは当然でしょ」
 北京五輪を目前にして、今の水泳界の話題はスピード社の開発したレーザーレーサーに集まっている。泳ぎではなく水着、五輪に向かっての焦点が予想外のところに集中してしまった。選手やコーチが普通の状態でトレーニングに打ち込めるのは正式決定後ということになりそうだ。国際水連は6月3日に臨時会議を開き、「承認する」ことになると予測されている。日本水連も6月10日にスピード社と新たな契約を結ぶかどうかの裁定がなされると聞く。すでに二つの記録会で「今から使って試さないと間に合わない」と鈴木コーチがいうように方向性は示されているように思える。ただ水泳関係者はわかっていることだが、一般の方には契約の問題や過去のいきさつを知らないから「何で好きな、速い水着が着られないのか不思議に思い」あれこれ意見をいう状況になっているのだろう。
 スポーツと科学の進化は永遠に続くことは間違いない。競技場、施設、道具、衣服、トレーニング法など、スポーツ界をとりまくありとあらゆるものが次々と開発されてゆく。薬の問題もそうなのだ。薬は本来人間の身体に効くために開発される。それが行過ぎると今のドーピング問題になってしまった。用具の開発もそうだ。長野五輪の直前にスピードスケート界は、今の水着と同じような問題に直面している。スケートの踵とブレードが離れている「スラップスケート」がオランダで開発された。このスケートを短期間でどうこなすかが当時の焦点の一つになった。ただ、この時は全ての選手といってもいいほど、選手たちはこのスラップを履き、こなして滑った。五百メートルでは清水宏保が「スラップ」を自分のものにして金メダルを獲得、最後まで迷い、使いこなせなかった堀井学は圏外に敗れ去った。
 ゴルフの世界でも低反発クラブで飛距離が大幅に伸びた。ボールも飛ぶように各メーカーがこぞって開発に努めた。ゴルフ場のなかには距離を伸ばして飛距離の伸びに対応した名門のトーナメント会場もある。今では競技会での低反発クラブは使えなくなっている。野球のバットやボールもそうだ。木のバットは折れて経費がかかるので、アマチュア球界では開発された金属バットを使用した。五輪や国際大会で、キューバがそのパワーを金属バットにのせて猛威を振るった時代が続いた。いま五輪では金属バットが使用できなくなり、キューバのパワーはあの頃のようではなくなってきている。つまり、スポーツ界ではここまでいってしまっては、その競技の魅力がなくなってしまうことに対しての自浄作用が働いてきたことも確かなのだ。
 だからといって、スポーツメーカーの用具、施設、ウェアーなどの開発に意欲をそぐようになることは、好ましくないだろう。より強く、より速く、よりエキサイティングになることがその競技の発展に直結することは確かなのだ。ただ、どこまでが許されるのかを判断しなければならない時代になったということだろう。いま、一番気がかりなのは、世界記録を出したり金メダルを獲得した選手が「水着のお陰よ」といわれないようにして欲しいのだ。LZRが正式に承認されたら、北京五輪の競泳の放送や記事には、レーザーレーサー使用か否かは重要な視聴者への情報になることは間違いないだろう。それにしても、このままだと、北京五輪の競泳の興味は減点されてしまう。選手の能力や努力を正しく評価してもらえるのだろうか。
 スポーツには用具を旨く扱うスキルを楽しむ競技が沢山ある。ゴルフ、野球、テニス、卓球などに代表される。しかし、水着は用具ではない。サンタクララ国際水泳では各選手が一日一レース、LZRをレンタルして泳いだそうだが、こうゆう話を聞くと「これでいいのか国際水連」と遠吠えをしたくなるのは、私だけではないのではなかろうか。



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