スイミングマガジン・「2008年6月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(6月号)
◎ 第35回 北京五輪選考の勝負を見て

 北京オリンピックの代表権をかけた日本選手権は歓喜と失意の入り混じった厳しい戦いの7日間だった。もう死語になったと思われるオリンピックの創始者・クーベルタン男爵の「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉は、現代ではまた違ったニアンスで真実をついているように思えてならない。確かに、センターポールに日の丸を揚げることは最大のテーマではあるが、「オリンピックはメダルを獲る事に意義かある」ということではない。標準記録を突破して代表に選ばれた31人の五輪スイマーに心からの祝福を贈るが、最も大切なことは五輪に集中して悔いのない全力での戦いをすることにある。アテネ五輪の代表は20人だったが、素晴らしい成果を上げた。マスコミは持ち上げるだけ持ち上げる無責任なところがある。あるスポーツ紙の見出しは「アテネ上回る競泳全31代表決定、さあメダルラッシュ」ときた。大会直後の上野競泳委員長も鈴木コーチも発言は慎重だし、言葉を選んだものだった。「記録はものたりなかった。世界のレベルは今年に入ってぐーんと上がっている。派遣標準記録を設けたが、見直さないといけないくらい世界のレベルは高くなっている。現状をしっかり受け止めたい」今年に入って世界記録は18も誕生している。最強のアメリカの選考会はまだこのあとだ。間違いなく世界記録は増えるだろう。
「世界のレベルは北島だけ。あとは決勝も厳しい。ただ、決勝に残れば、メダルは紙一重、準決勝をどう戦うかが最大のポイント」と鈴木コーチはしっかり先を見据えた発言だった。
 今はマスコミ、特にテレビスポーツはこの世界を踏まえての発言をして欲しい。女子アナやタレントに無責任な期待のあおりをさせて欲しくない。やらせるのは、どこもここも、プロデューサー、ディレクターと称する視聴率至上主義のバラエティ感覚の輩達である。スポーツが専門であるはずのスポーツ紙もよおーく世界の中の日本の実力を見分けて欲しい。そこにスポーツジャーナリズムが存在するのだから。選手もマスコミに対しては浮かれることなくきちんと自分の立場を話すことでしょう。幸いなことに、代表に選ばれた選手たちのインタビューの受け答えは、誰もが素晴らしいものでした。ほとんどの選手が自分だけでなく両親や支えてくれたスタッフ、友人に感謝の心を述べたのは、嬉しい限りだったし、涙も心をうつものでした。日本のプロ野球選手のお立ち台で受けを狙ったパフォーマンスに壁壁していた私もには、「やっぱりオリンピックはいいなぁ」と水泳選手の言葉に一つ一つ頷き拍手を送っていたりのです。また、コーチは水泳の技術を教えるだけでなく、五輪とはどうゆうものか自分も改めて勉強し、選手に説いて欲しいと願っています。「オリンピックに参加する意義」というのは、メダル獲得だけでは不十分で、今の聖火リレーの是非、民族紛争や政治経済とのかかわりも当然踏まえたうえで、代表選手たちをリードして下さい。コーチの役目は、ここのところも肝要でしょう。
 レースでは金メダリストの戦う姿と心のあり方に感銘を受けました。私は北島と柴田のスタート前を見たくて辰巳に足を運びました。二百平泳ぎの召集所での北島は一人だけ離れて椅子にすわり、自分の世界、ゾーンに入っていました。誰よりも一番、最後にキャップを丁寧にかぶり、自分のルーティーンを大切にしているように思えました。並ぶときに末永と立石の差し出した手に軽く答えました。でも、自分の世界は変えないように見えました。歩き出すと、小さくガッツポーズ、スタンドの声援には少し表情を出し、自然の笑みでこたえました。歩く姿は少し肩をふるチャンピオンらしい堂々の立ち居振る舞いです。場内アナウンスがコールする際も、座った椅子から立ち上がる、一呼吸おく間がなんとも言えず見事な間合いです。「北島はやるな」と、見たのは私だけではないはずです。
 追い詰められた柴田亜衣の召集所も私には興味深深でした。静かな表情と落ち着いた仕草に、ジタバタしない平常心のようなものを感じました。今の自分の力を認め、そこから活路を見出そうとしているのでしょうか。召集所の椅子から立ち上がると、今季やられている矢野友里江に握手の手を差し出したのは柴田からのように見えました。屈託の無い自然の笑顔です。スタート前、場内アナウンスのコース紹介は笑顔で答えましたが、スタート台に上がると一変しました。眉間の深い縦じま、集中の極に達した「鬼の顔」です。「愛くるしい笑顔から鬼の形相へ」柴田の戦いは「世界のレベルはともかく、金メダリストの意地はみせるだろう」と確信させるものでした。
 新旧交代は山本から岸田に受け継がれました。誰もが二重丸をつけなかった選手が飛び出すのがオリンピックイヤーです。かっての岩崎恭子もそうでした。最後のレースになった山本貴司は静かにプールを去りました。代表選手が会場に紹介されるために集まっているプールサイドの後ろを、彼は荷物を押しながらさっぱりした表情で去っていきました。「山本くーん。ご苦労さん。よおーくがんばったねぇ」「ありがとうございます。」人なっつこい笑顔が返ってきた。私が伝えた最後のオリンピックスイマーが去っていくのを、暫く見つめていた。代表になれなかった選手の健闘を讃えたくなるのも、選考会ならではの厳しさがあるからだろう。



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