スイミングマガジン・「2007年09月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(9月号)
◎ 第26回 「オリンピック予選始まる」

 近代オリンピックの創始者・クーベルタン男爵は「オリンピックは参加することに意義がある」と説いた。今や、その言葉は死語に近いとさえ言われる。参加するだけでは駄目で結果を出さねば意義はないということなのだろう。しかし、クーベルタンの言葉は、今、別の意味で深い意味を持つようになったと、私は見ている。ひょっとすると、墓に眠るクーベルタンは「わしの予言どおりの、五輪の危機に気づく者がおらん」と苦虫を潰しているかも知れない。
 来年の北京五輪出場をかけての予選が、様々な形で始まっている。競泳は八月の世界競泳があり、五輪の国内選考会は来年だから、まだまだ先なのだが、五輪代表の決め方は個人競技とティーム競技、プロスポーツによって極端に違いがある。
 例えば、アマチュアがどんなに出たいと思っても難しいのはテニスである。テニスは男女ともに予選会がない。ATP、WTAという男女の世界プロツアーに出場している選手たちの、五輪前の期限を区切った時点での上位ランキングの選手に出場権が与えられる。日本で言えば、杉山愛選手は間違いなく五輪選手になれるだろう。テニスの五輪は最早プロ選手だけの限られた舞台になってしまったのだ。しかも、テニスのプロ選手が一番の目標にしているのは、五輪ではない。全豪、全仏、ウインブルドン、全米という4つのグランドスラムの優勝者になることなのだ。恐らく、選手にとっての五輪は5番目の目標の大会なのではないのだろうか。
 ティームスポーツはどうかというと、五輪前年の今年から、こちらは厳しい予選の国際大会が開かれている。バスケットの女子は、既にアジア選手権で破れた。次のチャンスはアジア選手権のような各地域での予選に優勝出来ず、上位に入った国が集まる世界予選で戦うことになる。正直言って、アジア予選よりこちらの方が勝つのは難しいだろう。
 男子のアジア予選は7月28日から日本の徳島市で行われる。このコラムをスイマガファンが読んでいる頃は既に結果が出ているはずだ。オリンピック放送で私は「水泳アナウンサー」といわれるが、実は私の五輪放送は、バスケットの方が古い。水泳は1984年のロサンゼルスからだったが、バスケットは1976年のモントリオールからなので、バスケットへの思いは強くある。しかも、バスケットが世界では通用しない日本だから、なお更なのだ。「駄目な子ほど可愛い」ということだろうか。日本の男子は、この1976年のモントリオール五輪以来、31年間も五輪から遠のいている。この時、私はモントリオールで1勝だけした男子ティームの放送をやっている。
 徳島でのアジア選手権、私はジェイスポーツというCS放送で実況をする。「神風が吹かない限り、難しいだろう」と予想しつつ、放送席に臨む。外れることを祈りたいのだが。
 北京で最後になる野球は、12月、台湾で開かれるアジア予選で優勝しなければならない。今、日本の野球はプロ選手を代表にするので、シーズン真最中だから日本ティームはまだ出来上がっていない。日本シリーズが終わってからが、五輪へ向けてのスタートになる。一般的にはワールドベースボールクラシックで日本は世界一になったから、アジア予選は問題ないだろうと予想すると、とんでもない。世界一になったが、予選リーグでは韓国に2敗、メキシコのアシストがなければ、日本は決勝には出られなかった。むしろ、幸運を引き寄せた「優勝」だった。韓国だけでなく、台湾は地元なので負けられないという強い思いとホームタウンの有利さも生かしてくるだろう。となると、「星野ジャパン」も厳しい戦いになることは間違いなのだ。ただ、野球はここで負けても、世界予選の方が、案外スムーズに行けるのかも知れない。
 ティームスポーツと違い競泳や陸上競技は国内の最終選考会で決定する。ただ、、アメリカと日本の選考のあり方の違いがある。アメリカの水泳の国内選考会はわかり易い。世界記録保持者といえど、予選会当日、体調が悪く3位以内に入れなければ、代表にはなれない。米は全種目に3人のエントリーをするから、公明正大な「結果が全て」の代表になる。日本は恐らく、それだけの規模にならないだろうから、選考会は順位だけでは駄目で高い記録が必要とされるだろう。たとえ、上位に入っても五輪で各国と対等に戦えなければ、代表権は難しいはずだ。ただ、私が言いたいのは、今や、五輪は「予選を立派に戦うことに意義がある」と言い換えることが大切ではなかろうか、ということなのだ。



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