スイミングマガジン・「2007年08月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(8月号)
◎ 第25回 「オリンピックはプロ根性で」

 5月から6月、私は、仏・パリで行われた全仏オープンテニスの中継に出かけてきた。一番の強烈な印象は、トップ選手たちの「プロ根性と逆境での強靭な心」だった。スイマーの皆さんにも、この選手の話をしたくなったので、紹介してみよう。
 皆さんもよく知っている「現代のシンデレラガール」マリア・シャラポワは、何であれだけ追い詰められても「頑張りぬく」ことが出来るのだろう。インタビューで彼女は、こう答える。「私は決して最後まで諦めない鉄の女なのよ」言っておくが、パリでもニューヨークでもロンドンでも、テニスファンは必ずしも、彼女の味方や盲目的なファンではない。
 パリでは彼女は、どちらかといえば、敵役にまわる。相手への拍手や声援の方が圧倒的に多い。恐らく、ロンドンやパリのテニス愛好家には、あの「シベリアのサイレン」と酷評されるショットの際に発する金切り声に壁壁しているのだろう。
 不快指数を越すと言われる叫び声とともに、彼女は美しい顔を鬼のように歪め、強打を打ち続ける。マッチポイントを握られて、追い詰められても、決して守りのテニスはしない。ヒットし、攻めの姿勢を崩さない。
 この大会の4回戦で彼女は「もう終わりだ」と思えるピンチに何度も陥った。サウスポーで好打を放つスイスのパティ・シュニーダーに何度も追い込まれながら、耐え、反撃に転じた。ルールに違反しない限り、追い込まれてからは何でもやった。
 右肩の怪我を抱えていると伝えられたており、不利になった場面でトレーナーを呼んだ。しかし、治療は受けず薬だけ貰った。スタンドのファンは彼女が治療を受けなかったのでポーズを意識的に取ったと見たのだろう。厳しいフランスのファンは口笛を吹き、ブーイングでシャラポワを批判した。大熱戦となり、場内はウエービングが続いたが、その殆どはアンチ・シャラポワだった。日本と違いパリのテニスファンは日本のようにミーハーではない。
 対戦相手と場内の観衆を敵に廻しても、シャラポワの精神力は異常なほど強かった。落ち着き払っていた。嫌、そう見えるように振舞っていたのだろう。相手・シュニーダーのサービスゲームであと、2ポイントに追い込まれた時、なんとシャラポワはラケットを換えにベンチに戻った。ラケットの交換は普通、ガットが切れたり、極端に歪んでしまった時に行う。しかし、シャラポワは、ここで一呼吸、相手のペースを外そうとしてラケット交換をしたように見えた。ゲームの修羅場で、なかなか出来ることではない。シュニーダーは一気に勝負をつけてしまいたい場面だった。
 観衆はシャラポワのポーズを取ろうとした行為に、立ち上がってブーイングを浴びせた。それでも、シャラポワはラケットを見つめ、何時ものように集中し、厳しい表情だった。彼女は試合中は決して笑顔は見せない。ここでのラケットの交換はルールに反することではない。ただ、追い詰められて、思いつくことではない。つまり、冷静に自分を見つめられるもう一人のシャラポワがいたのだろう。
 シュニーダーは、明らかに早くサーブに入りたがっていた。しかし、最後まで、あと一本を許さず、劣勢を挽回したシャラポワは大逆転の勝利を収めてしまったのだ。尤も、シャラポワのテニスはいい状態ではなく、準決勝で敗れてしまうのだが、私はシャラポワの強靭さが「シンデレラストーリー」を支えていると改めて感じさせられた。
 シベリアのソチという小さな町から、父とともに僅か700ドルを懐に、アメリカに渡りく9年後にウインブルドンのチャンピオンになり、巨額の富を得た。他人のことは気にしない。自分の世界でテニスに打ち込む。激しい練習は人の倍やる。「もっと、冷静に、忍耐強く」と自分に言い聞かせながらプレーに集中する。「私は決して諦めない」と答える彼女は、まだ20歳の若さなのだ。
 プロは結果が全てといわれる。五輪にプロが参加する時代、参加することに意義のあった五輪選手は、いまや、シャラポワのような「プロ根性」が、悲しいかな、必要不可欠になってくるのだろう。「逆境に耐える強靭な心」五輪のチャンピオンも、また然りといえそうだ。



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