スイミングマガジン・「2007年05月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(5月号)
◎ 第22回 「世界選手権によせて」

 このコラムはメルボルンで行われている世界水泳選手権の最中に書いている。正確に言えば、北島康介の男子2百メートル平泳ぎの前日までなので全てが終わってからの感想ではない。また私はスイマーでもないし解説者でもない。スポーツジャーナリストの立場として言わせてもらう。ただ一つだけ、戦っている選手は誰も自分の最高のパフォーマンスを目指して臨んだことを日々確認できた。そのことに、今では放送席からでなく、テレビの前からだったが、心からの拍手を贈りたい。
 今回の世界選手権も世界新記録が連発され、「凄いなあ、本当なのかなあ」と感嘆の呟きばかりだった。日本人選手の活躍も気にはなるが、凄いレースを見たい気持ちは水泳アナウンサーだった頃も今も変わりはない。4年に1度のオリンピックは記録以上に金メダリストになることが大切だし、難しい。決められた決勝の日に最高のパフォーマンスをすることは至難の技だ。「世界記録保持者が勝つとは限らない。失敗することが良くある」と言われるのがオリンピックだ。まして記録を競う競泳や陸上競技、スピードスケートではよくあることだ。
 世界選手権はオリンピックとは違う。かつては4年に1度とオリンピックと同じ周期で行われていたが、今では2年に1度、まして今回のように北京オリンピックの前年となれば、オリンピックの前哨戦の雰囲気が漂う。負けても「次の北京が本番さ」という気持ちになるのは当然だろう。当然、世界記録保持者やチャンスのある選手は勝つことも大事だが記録も狙いたいという気持ちでレースに臨んでくるのだろう。
 世界記録を出した選手は前半から積極的に飛ばしてきた。フェルプスの2百自由形はその典型だろう。レース実況の解説者はスタートのいいフアンデンホーヘンバントが得意の飛び出しで前半をリードし、フェルプスが追う展開で世界新が誕生する可能性があると分析していたが、レースはフェルプスの独壇場だった。引退したイアン・ソープの母国で破ったことになるのだが、ソープが引退したのも無理からぬことだと、妙に納得してしまった。とても今のフェルプスには勝てない。最盛期のソープの力でも及ばなかったかも知れない。きっと、ソープだけは分かっていたのだろう。ここで惨敗するより「いい引き際」だったといえるだろう。自由形のあとの2百バタフライも圧巻だった。前半からそんなに飛ばして大丈夫なのかと呆れて見入っていたが、とうとう押し切ってしまった。そのほかの世界新記録も圧倒的なものばかり、いずれも前半からぐんぐん飛ばして逃げ切っている。男子百背泳ぎのピアソル、女子百背泳ぎのコーグリン、アメリカはやっぱり水泳王国だ。フランスのマナドゥも女子2百自由形で世界新を出した。個人的にはマナドゥはお気に入りの選手なので拍手喝采を贈った次第。ただ、オリンピックになったら、こうゆう「行け行け」のレースができるのか。世界選手権とオリンピックの違いを垣間見た気がするのだが、どんなものだろう。オリンピックと世界選手権は4回ずつ喋ってきた私だが、世界選手権の方が「出た、世界新記録っ」の絶叫を数多くやったような気がするのだ。

○ オリンピック組の健闘
 新しい選手の活躍を期待したのだが、日本の水泳界はまだ、アテネ五輪のメダリストたち、北島、柴田、中村礼の踏ん張り、頑張りに頼らなくてはならないのだろうか。テレビは「ハンセン・北島対決」をクドイほど連呼して盛り上げにかかっていた。確かに北島の復調で百平泳ぎは面白かった。しかし、フィニッシュの伸びにハンセンの勝負強さを感じたし、スタート前、場内にコールされたときのハンセンの堂々として態度は「記録を持っていても勝てなかった」アテネの時とまったく違っていた。まさに王者の自然な振る舞いであり、不安をどこにも感じていないようなジェスチャーだった。アテネで敗れたことは、ハンセンの成長の糧になったことは間違いない。
 タッチの差で敗れた北島だが光明は見えた。インタビューで「悔しい、もう2番は嫌」と答えた。今度は北京に向かって北島が巻き返す番になる。ただハンセンが五十に初めてトライし銀メダルを獲得したことが怖いのだ。50に関していえば、テレビ朝日のスタジオは「ハンセン・北島対決第二弾」とはしゃぎまくって盛り上げていた。視聴者を欺くのはいい加減にして欲しい。この種目の第一人者は勝ったリソゴルだし、北島も「メダル争いに絡めたらいい」と状況は把握していた。この種目に関していえば「対決」は正しくない。「混戦、誰にも金のチャンスはある」という言い方だろう。
 北島、柴田、中村礼、中村真、中西らのインタビューの受け答えは素晴らしかった。殊に女子選手のメダリストの笑顔は輝いていた。笑顔に金メダルを贈りたい。一つ気に入らない答えがあった。準決勝のあとの柴田隆一選手の「テレ朝的には、おいしいですね」こんなことをいうものではありません。インタビューとは「きちんと答える場」なのです。現に、決勝で負けたあとは「立派な答えでした。ユーモアーもあっていいでしょう。要は「心を伝える」ことなのです。
 かつて、鈴木大地は決勝に臨む心境を聞かれ「ひ・み・つ」岩崎恭子は「生まれてきて一番幸せな時です」 最後にスタジオゲストのスイマー出身者さん、応援団だけではいけません。きちんと勝負を語りなさい。
 芸能風に面白おかしく応援する演出とテニス出身の司会者のあり方、水連はあれでいいのですか。



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