スイミングマガジン・「2007年01月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(2月号)
◎ 第19回 「ドーハ・アジア大会の成果」

 アジア大会での水球の活躍はお見事だった。大きな拍手を送りたい。日本では水球はマイナー的に見られている。ヨーロッパへ行けば注目される、人気のスポーツだ。かって、ローマの世界選手権の中継に行った時のことだ。最終日、午後から夕方にかけて競泳が行われ、その後、観客の入れ替えを行い、メインイベントとして水球の決勝戦が行われた。真紅の絨毯の上に決勝戦を戦う両ティームの選手が晴れがましく行進するシーンを、私は信じがたい思いで見つめていた。私たちNHKの中継班は競泳が終わると、放送席を撤収してしまい、水球の放送などどこ吹く風だった。ヨーロッパのイタリアやスペインの放送局は、競泳は前座で、いよいよこれからが本番という意気込み、場内の盛り上がりはサッカーと同じだった。
 アジアの水球はこのところカザフスタンが3連勝していた。日本はなんと準決勝でカザフスタンの4連覇を阻止、しかも延長戦で決着がつかず、PK戦の末5対4で勝つという、劇的な勝利だった。しかも、因縁のPK戦だった。前回の釜山のアジア大会の決勝で、日本はPK戦でカザフスタンに敗れ悔し涙を流している。その時、最後に外した田中宏児選手が、なんと今回は勝負を決めるシュートを打ったのだから、こんなドラマティックなリベンジは、めったにないだろう。
 私も遠い昔の1982年のインド・ニューデリーのアジア大会の決勝戦の日本対中国を放送した。1点を争ういい試合だったが、11対10で惜しくも敗れた。当時のインドはようやくカラーテレビが始まった年で、テレビの技術は遅れていた。大きなスタンドの最上段に放送席があり、カメラの位置も高いところにあり選手の姿は豆粒のように小さくしか写らない。モニターを見ても誰がシュートしたのか分からなかった。隣でスコアーをつけてくれた西田善夫アナウンサーが、双眼鏡でみて、キャップの番号を言ってくれた。その番号から私は「宝亀のシュート、惜しい」とか「原、いいディフェンスだ」などと実況した。放送には西田アナウンサーの番号を伝える声が皆、入っていたものだ。
 あの頃から比べると、日本の水球は強くなった。ヨーロッパのプロリーグで活躍する選手がメンバーに名を連ねている。準決勝のカザフスタン戦でPKゴールを決めた田中選手はスペインリーグのバレンシアでプレーしていたし、青柳勧選手はイタリアのセリエA1、長沼敦選手はセリエA2に所属するなど、レベルの高いヨーロッパで活動している。水球は水中の格闘技といわれる。大男の中でもまれスピードもスタミナもひけをとらないようになってきているのだ。決勝戦は予選リーグで敗れた中国が相手だったが、日本は36年ぶりのアジア大会優勝を飾った。
 残念だったのは、テレビが水球の素晴らしさと活躍を伝えようとしなかったことだ。今回のアジア大会は、主にNHKが深夜の時間帯に放送していたのだが、最終日はソフトボール、女子バスケット、ホッケーだった。ソフトは決勝戦だからいいのだが、バスケットとホッケーは3位決定戦である。「昔、ニューデリーでは水球の決勝戦を俺はしゃべったんだぞ」とNHKには言いたい。不祥事の汚名を返上するには、放送の中身で勝負するしかないのだ。
 水球が陽の目を浴びない中、いまやゴールデンタイムに芸能風中継までありのシンクロ、脚光を浴びるのはいいことだが、辛口アナウンサーの私は「テレビのいいなりもいかがなものか」と冷ややかに見ている。
 シンクロはついに中国に敗れた。来るべき時が来たと思っている。もともと、中国は体操、飛び込みなど表現力が豊かだから、採点競技に強くなる要素は持っている。まして、次は自国開催のオリンピックだから、採点という微妙なニアンスの競技となれば、日本が今回の負けを深刻に受け止めるのは当然といえよう。日本代表が初めて中国に敗れ、しかもシンクロ界のリーダーだった井村雅代前コーチが中国で指導するとなれば、女の戦いはますます激化、この件のコメントは思っていても「言わぬが華」の方がよさそうだ。
 競泳は今回もアジア大会から成果を得ることが出来た。中国と並んだ16個の金メダル、ベテラン山本の泳ぎへのハングリーさによるV3、中村、矢野、佐野らの二冠、若手の躍進、心配されたアテネ以降のメダリストと若手の差は少し縮められたのではなかろうか。「後輩が力を出してくれたことが世界選手権に繋がる」と語った北島康介のリーダーシップぶりが、私にはことのほか頼もしかった。次々と設定したハードルに前向きに望む姿勢が続けば、北京五輪は立派に戦えよう。
 アジア大会を辞退した柴田亜衣選手が、バラェティ番組のゲストに出ているのを見た。子供たち30人が一列に二人三脚で走る感動を呼ぶいい番組だった。子供たちの涙と一生懸命さが伝わってきた。柴田選手も何か得るものがあったかも知れない。でも、敢て言いたい。休養は大事なことだが、番組出演はアジア大会の最中だった。仲間がアジアで戦っているのだから、テレビのゲストになるより、私は泳いで欲しかった。



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