カナダビクトリアで行われているパンパシフィック選手権の最中にこのコラムを書いている。全部の結果が出る前なので印象だけを語ってみたい。もともとパンパシフィックは歴史のあるヨーロッパ選手権に対抗することで、アメリカ、オーストラリア、日本を中心に始まり20年になる。私も何度かマイクに向かったものだが、常にヨーロッパ選手権での記録と比較して、たとえ金メダルでもヨーロッパから引き離されていれば、高い評価は付けかねたものだ。
ところが、当時は4年に1度だった世界選手権が、今では2年に1度になった。こうなると、同じ世界選手権でもオリンピックの前年の大会の方が価値があるように思えてしまう。世界選手権がオリンピックの前哨戦、盛り上げる前座試合のような感じになる。本来は、オリンピックと同等の価値があってしかるべきはずだ。サッカーは明らかにワールドカップが第一、オリンピックはその次、いやヨーロッパ選手権の方が注目度が高いのかも知れない。水泳の世界選手権が2年おきになり、今回のパンパシフィックが来年の世界選手権の国内選考も兼ねるようになると、パンパシの価値観も変化していると言わざるを得ないのかもしれない。現に、オーストラリアのスーパースター・イアン・ソープは12月のオーストラリア選手権に集中するため今回のパンパシをスキップしている。
悔しさをバネにした選手に拍手を贈りたくなるものだ。百メートル背泳ぎの伊藤華英が世界記録保持者、アテネ五輪の金メダリスト・ナタリー・コーグリンを破ったレースは鮮やかだった。伸びやかなストロークでテンポよく逆転勝ちしたレースもさることながら、よくここまで失意の中から立ち直れたものだと大きな拍手を送りたい。伊藤選手がセントラルに来た頃のことを思い出す。鈴木陽二コーチが「島村さん、楽しみな子がいるんですよ。オリンピックで勝負出来る素材、コーチとしてやりがいがあるんですよ。見ていてください」あれから何年たっただろう。オリンピックで勝負するどころか、伊藤華英はアテネの切符を逃した。その後の世界選手権も二百で4位、水泳界のアイドルとして騒がれたことも負担になったのだろう。むしろ、騒がれることを逆手に取るぐらいの生意気なところがある位の方が悩まずにすんだかもしれない。かつての鈴木大地は目立ちたがり屋だった。その後のメダリストの中にも騒がれることに乗っかっていい結果を出した選手が数々いる。これからの伊藤は心のあり方にかかってくるだろう。世界記録保持者、五輪の金メダリストに勝った。今までは追ってきた。これからは勝負に勝つことと、世界記録を目指す2つの目標になる。今度は敗れたコーグリンがこの結果をどう捉えるかだろう。彼女が強い心の持ち主なら必ず巻き返してくる。チャンピオンになったらどんなレースでも負けてはいけないのだ。その意味では二百背泳ぎで決勝に残れなった予選のレースが気に入らない。順位決定戦で決勝2位の記録が出るのなら、予選は心のおきどころに課題が残ったと言わざるをえない。
二百背泳ぎの中村礼子の2分8秒台突入の日本記録にも拍手を送りたい。この記録はヨーロッパ選手権の記録をも上回る今季の世界最高なのだから価値ある日本記録といえる。これからは8秒台で満足することなく、あのエゲルセキの偉大な記録を意識して欲しい。私が実況していた時代のハンガリーの少女・エゲルセキは本当に強かった。背泳ぎ、個人メドレーで5つの金メダルを獲得し、15年前の91年に2分6秒62の世界記録をマークしている。24歳の中西礼子選手がまだ9つの時だ。頂点にたったらオリンピックまでは負けてはいけない。大地も恭子ちゃんもオリンピックの時だけ強かったのだが、その上をいく負けないチャンピオンを目指して欲しいのだ。
男子の百平泳ぎの北島康介が辛うじて銅メダル、世界選手権の標準記録を突破した。前半から飛ばし勝負をかけたところに彼の勝負根性が見られたが、世界記録保持者のブレンダン・ハンセンとの差は如何ともしがたいのが現状だろう。二百では銀メダルだが金のハンセンは世界記録をさらに伸ばし2秒近い大差を北島につけた。ハンセンもまた、アテネ五輪で苦い敗戦を喫し、そこからもう一度這い上がってきた。全米選手権の百、二百の世界記録を見ると、とても北島の追随を許さない凄い記録だ。しかも、アテネ五輪直前の世界記録を2年ぶりに更新したのだから、今は「ハンセンの時代」といえるだろう。昨年の世界選手権に続き北島を破ったのだが、今のハンセンは北島は眼中になく、自分の世界記録更新を狙って泳いでいた。百のレース後、「人は誰でも過ちを犯す、次に生かせばいい」と共同インタビューで語り、二百ではその通り、〇秒二四も更新した。まだまだ記録を伸ばしそうだし、アテネの敗戦をプラス思考に変えようとする強い意志が感じられる。しかし、2年間は長い。五輪当日までハンセンは勝ち続けられるのだろうか。私には北島の泳ぎ以上にハンセンの動向に興味深々なのだ。
最後に一言、アテネ五輪で活躍した選手だけでなく、あっと驚く新鋭の出現を心待ちにしている。勿論、年齢が若くなくてもいい。世代交代とまでは行かなくても、アテネプラス新鋭の日本選手団に期待しているのだが。 |