スイミングマガジン・「2006年 9月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(9月号)
◎ 第13回 「選手になる基本とは何か」

 7月18日、日本高等学校野球連盟の会長を21年余り務めた牧野直隆さんが95歳で亡くなられた。牧野さんは81年に第4代会長として高校野球の発展に尽くされた。私のNHK大阪時代だったので会長インタビューを始め、色々とお世話になったものだ。数年前にお会いしたときもかくしゃくとしてお元気で「健康の秘訣はなんですか」と伺うと、「島村君、私は長いこと真向法・まつこうほう・という身体の整備法をやっているんだよ。」といわれ、バッグの中から小さなパンフレットを出し「簡単だから、毎日続けてやりなさい。但し、続けるのは大変だよ」「はい、ぜひやってみます」と頂戴した。そして、1ヶ月近くやって忘れてしまった。「継続は力なり」という言葉は知っていても難しい。真向法の小さなパンフレットだけが私のデスクに貼り付けてあった。今ではこれが牧野さんから頂いた「形見」になってしまったのだが、牧野さんはきっと「島村君も並の男だなぁ」と苦笑いされているやも知れぬ。
 牧野さんは野球への情熱を燃やし続けられた。特に会長時代に選手の障害予防、国際化、外国人学校への門戸の開放、不祥事による処分の基準緩和を進められた。ああ、それなのに、親の心、子知らずとはまさにそれである。日本学生野球協会が発表した不祥事の処分の何と多いことか。無期限謹慎、除名、対外試合禁止、警告の数は40件を超えていた。これには学生だけでなく、指導するはずの監督、部長も含まれている。最も悪質で恥ずべきは監督の女子生徒に対するセクハラ、部長の飲酒運転、高野連幹事の盗撮行為まであるのだ。カラオケに連れて行きセクハラに及んだ監督は、私も甲子園で放送をした著名な監督だっただけに、あきれ果て怒りもこみ上げてきたものだ。
 処分の対象となる行為はいろいろある。部員の暴力、万引き、喫煙、飲酒、いじめ、窃盗、無免許運転、公営賭博、会費の私的流用、不法侵入、器物破損、無銭飲食、となんでもありなのだ。しかも、学生を指導すべき部長、監督がやっているとなると、一体どうしたらなくなるのか解決策の第一歩からぐらついてしまう。牧野さんが不祥事の処分の緩和をされたのは、連帯責任や関係の無い人々にまで影響が及ぶことを避けようとした「温情」があったからなのだ。そこには、スポーツを愛する、野球を大事に育てたい心があったからなのだ。
 スポーツの選手になるということは、社会性をもつということである。優れた選手やティームの活躍は放送、新聞、雑誌などのマスコミが取り上げる。最近では少年、少女のスポーツ大会での成績まで新聞などには詳しく掲載される時代である。今や、年齢は関係ないのだ。子供たちがスポーツを始める時に、指導者が一番最初に教えることは、泳ぎ方やボールの投げ方ではなく、人としてのしつけ、社会と個人のあり方を毎日のように話続けることから始めることだろう。いじめ、暴力はなぜいけないのか、飲酒、喫煙はなぜダメのか、優れた指導者は子供たちの前ではタバコはすわないのだ。
 選手になれば、たとえ小さな大会に出場する程度でも「社会性」を帯びてくる。その子が10才前後でも歳はまったく関係ない。日本のこのところの忌まわしい事件は「社会と個」の関係が判らないから起こるケースが多々ある。「うちの子に限って」などというのも社会を教えていないからだろう。今、色々なスポーツで10歳に満たない子供の頃から本格的にスポーツ選手を育成するシステムがられている。テニス、ゴルフなどはいまや五歳前後から始めないと間に合わない。勿論、水泳界はエイジグループからの教育が盛んで、小さいうちから大会に出し、優れた子供に英才教育が行われている。それはいいのだが、泳ぐこと以上に社会性について指導してほしいのだ。高校野球の不祥事は決して「対岸の火事」ではない。確かに、団体競技と個人競技では指導者と選手の関係は違う。水泳は、どちらかといえば、マン・トウマンだし、ティームスポーツは指導者の教育が行き届かないケースがある。しかし、水泳でも学生野球の不祥事がまったくないわけではあるまい。ただ、高校野球のように表面に出にくい側面もあるからではないだろうか。また、高校野球は学校スポーツという教育の範囲にあるが、水泳は学校スポーツとしてより、スイミングスクールとしての発展を遂げてきているから、同じフィールドでは語れないということもあるかも知れない。ただ、私がいいたいのは、選手と呼ばれたら、そこには社会性があるという認識を子供の頃から厳しく植えつけて欲しいのた。
 欽ちゃん球団のバカなタレントが欽ちゃんの夢を壊してしまった。私はテレビのクイズやバラェティ番組は絶対に見ないタイプの人間だから、山本なにがしといっても知らないのだが、趣味の野球もマスコミに取り上げられたら社会性があることをなんでいい年をして気づかなかったのだろう。「僕に責任がある。99パーセント、バカ。一緒に謝る」と萩本欽一監督に言わせたなんて、愚かしいにも程がある。でも、人事、絵空事と思わず、わが身を律し、子供に社会性を確立させなければならないでしょう。年齢ではない、山本なにがしは38歳でも子供だったのですから。



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