スイミングマガジン・「2006年 7月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(7月号)
◎ 第11回 「世界記録によせて」

 5月中旬に行われた競泳のフランス選手権で、女子400メートル自由形で世界新記録が誕生した。新記録をマークしたのはアテネ五輪の金メダリスト・ロール・マナドゥである。最後にマナドゥを見たのはプールではなく、去年のテニスの全仏オープンの女子決勝を中継していて、その表彰式のプレゼンテーターとして、ブローニュの森、ローランギャロスのセンターコートに登場した時だった。勿論、スイミングスーツではなかったが、五輪のチャンピオンがテニスコートに表彰者としてきたところに、「フランス52年ぶりの金メダル」の喜びと誇りが感じられて、私も昔の五輪アナウンサーのような心境に戻って表彰式のアナウンスをしたのを思い出す。そのマナドゥは北京に向かってさらに記録を伸ばし、成長している証が今回の世界記録といえるだろう。アテネでのマナドゥの金メダルの記録は、確か四分五秒台だったので、私はそれほど驚かなかった。むしろ、優勝候補の筆頭と思われた800で柴田亜衣に敗れたことの方がびっくりしたほどだった。
 今度マナドゥが出した400メートル自由形の世界記録は4分3秒03である。なんと女子の五輪種目のなかで最古の世界記録はこの種目で18年ぶりに0秒52だけ更新したことになる。記録は破られるためにあるといわれるように、世界の水泳界の記録の伸びは速い。これは競泳だけでなく、陸上競技にもいえることだ。数多くのスポーツ競技、種目のなかで、人の身体だけで戦うのは競泳と陸上のトラック種目だけといっていいだろう。水泳は用具を使わない。ボールはない。バットもグラブもクラブもラケットもない。相手を隔てるネットもない。しかも、競泳は天候、自然の影響を受けることがいまではほとんど無い屋内プールになっている。つまり、道具を上手く扱う技術は要求されない。自然の中での運、不運に左右されない。相撲だと相手の力を利用することも可能だが水泳はそれはまずない。じぶんの身体と技術を鍛え、心を磨き記録を目標にするという極めてシンプルな競技である。勿論、レースの中では相手との戦略もあるが、身体接触があるわけではない。戦う相手は己と記録ということになる。
 自分の力を落とさず、伸ばし続けることは、シンプルな競技ゆえ、難しいのだろう。水泳や陸上競技選手の寿命が他の道具を扱う競技より短いのは身体一つの競技だからと、私は自己流に分析している。だからこそ、がんばって長い間泳ぎ続ける選手をマイクから応援してきた。今は水泳の実況をすることがないから、昔しゃべっていた中村真衣さんや山本貴司君には「出来るだけ、第一線で泳ぎ続けて欲しい」と心の中で応援しているのだ。
 それにしても、マナドゥが破った記録が18年も続いていたとは驚いた。そして、改めて世界記録を持ち続けていたアメリカのジャネット・エバンスの凄さを思い出したのである。エバンスが出した4分3秒85という世界記録はソウル五輪の決勝、1988年9月22日に出したものだ。2位に2秒近い差をつけたものでゴール後のインタビューで「信じられない。そんなに速かったとは感じられなかった」といっている。87年からの彼女の強さは誰も寄せ付けず、ライバルは記録だけだった。400、800、1500の3種目はジャネットの独壇場が続いた。当時の1500で女子が始めて16分の壁を大幅に破ったのも彼女だった。800の8分16秒22の当時の世界記録は代々木のパンパシフィックで出したものだ。日本での世界新に私は興奮の実況をしたものだ。世界記録を連発したジャネットの泳ぎは独特の泳法だった。まるで水車のように腕をぐるぐるまわした。前半から速いペースで入りそれを維持した。リカバリーの腕がまっすぐだったのでモーター泳法ともいわれた。大きな目を見開き、負けん気が強かった。ソウル五輪は400、800、400個人の三冠、当時17歳、バルセロナは800に2連覇したが400は銀メダル、ソウルで出した世界記録に4秒近く遅れた。頑張りやのジャネットは次のアトランタにも24歳でトライしたが、女王の座は遠くなってしまった。400は決勝に残れず、B決勝は棄権した。彼女が戦ったレースは五輪だけではなく、世界選手権など数々の国際レースで勝ち続けていたということだ。3回の五輪に出場するということは最低でも10年、トップクラスを維持するということである。解説の東島新次と私は何度も彼女の凄いレースを実況したものだ。「バディポジションが高くて素晴らしいですねぇ」というしんじぃさんの解説が耳に残っている。
 ソウル五輪のエバンスの世界記録が18年ぶりに破られ、私が伝えた世界記録もこれで全て消滅したことになる。記録は破られるためにあるといわれるが、その限界はどうなのだろう。いつの日にか、絶対に届かない記録は存在するはずなのだが、人はそれを見極めることは出来るのだろうか。
 マナドゥ健在を日本の柴田、山田らが、励みとし、目標として欲しい。少なくとも、柴田亜衣は挑戦者に戻って北京に挑むことだろう。「今度こそ、マナドゥは私が二冠よ」と思っているはずだ。



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