スイミングマガジン・「2006年 5月号」掲載記事
島村俊治の「アスリートのいる風景」(5月号)
◎ 第9回 「五輪の夢、今、世界大会で果たす」

五輪の夢を果たしたソフトバンクの松中選手と・・・

 米・カリフォルニア州サンディエゴの夜空に王監督が舞った。世界のアマチュア野球界をリードしてきた野球王国・キューバを圧倒しての世界一、野球の国際化を進める第1回のWBC・ワールドベースボールクラシックの初代チャンピオンに輝いたのた。
 この日、キューバとの決戦の前の練習中のこと、松中信彦と福留孝介両選手と「あの日」のことを思い出してちょっとした会話をした。「また、あの日が巡ってくるとはねぇ」「もう十年たちますね」「また、満塁ホームランでるかな」「いぇ、ティームの繋ぎに徹しますよ」松中に余裕の笑顔が見られた。「準決勝のホームラン、おめでとう。あの一発でここまでこられたねぇ」「興奮しました。あれは、」「今日はあの日の雪辱を、頼むよ」「ええ、判ってます」と福留は表情を引き締めた。
 「あの日」とは、96年夏のアトランタ五輪、キューバとの決勝戦に遡る。当時、野球はプロの参加が認められない金属バットの時代で、キューバが圧倒的なパワーとスピードで世界の王者に君臨していた。決勝はキューバと地元の米が対戦するだろうというのが大方の予想だった。ところが、準決勝で日本が米に快勝して、予想外のキューバ、日本の決勝戦になったのだ。実況を担当する私は、嬉しさ半分、不安半分、どちらかというと、メチャメチャに破壊されて大敗するのではないかと心配していた。
 放送開始直前、隣で日本に準決勝で敗れ3位決定戦に臨んだ米の放送局のアナウンサーが私に声をかけてきた。「エニスィング・イズ・ポッシブル」彼は「エブリスイング・イズ・ポッシブル」といったわけではない。「全てが可能ではなく、何か起こるよ」と励ましてくれたのだろう。それでも私は「そりゃ、無理だよ」と心の中で呟いたのだが、「ありがとう。そう、願いたいねぇ」と応えておいた。試合は私の予想通り序盤からキューバの打線に日本の投手陣がつかまり、5回の表で5対1とリードされていた。その裏、日本に満塁のチャンスが訪れ、4番の松中が登場した。今回のWBCでも四番を打つ松中だが、当時も3番・谷(現オリックス)4番・松中、若い福留は7、8番を打っていたはずだ。そして、「何かが起こった」のだ。松中の一振りは左中間スタンドに向かって飛んでいった。「松中の同点満塁ホームランが出たっ」と私はありったけの声を振り絞った。それでも、「何かは起こった」のたが、「全てが可能」ではなかった。再びキューバの猛攻で日本は敗れ、銀メダルに止まったのである。
 だからなのか、私とアトランタ生き残りの松中、福留との間に「あの時の想い」がある。今回のWBCの準決勝戦の韓国戦、日本は何度も前半にチャンスを掴みながら逃し続けてきた。まして、予選の1次リーグ、2次リーグの韓国戦で1点差の連敗。三度目の正直の韓国との準決勝戦、「嫌な8回を迎える前のこの7回に何としても点が欲しいニッポン」と実況していると、松中がレフト線を破った。松中はヘッドスライティングで2塁ベースに飛び込み、ベースを拳で叩きつける気迫を見せティームを盛り上げた。そして、王監督の代打起用に、何と福留が応えたのだ。快心の打球は高い、大きな弧を描いてライトスタンドに突き刺さった。私の実況も久しぶりに声がひっくり返った。そして、心の中で呟いた。「今度こそは、エブリスィング・イズ・ポッシブルだぞ」
 夢の実現は思いがけない運に恵まれることも大切なことなのだろう。それは、自分の力だけではどうにもならないこともあるのだ。今回の日本は2次リーグのアメリカ戦で、審判の疑惑の判定と韓国戦の惜敗で準決勝進出は絶望的だった。しかし、アメリカにはまず勝てないと思われたメキシコの大健闘のお陰で日本はアメリカ、メキシコと並び、しかも失点がほんの僅かだけアメリカより少なかったので準決勝に進めた。メキシコが神風となってくれたのだ。しかも、反対のグループからキューバが出てきたことも、驚異的だった。米大リーグで活躍するスターを並べたドミニカが圧倒的に強く、決勝戦は米対ドミニカとみるのが大方の予想であり、常識的な見方だっただろう。しかし、勝負事は何が起こるか判らないし、ティームゲームは個人競技と異なる色々な要素が絡んでくるから、時に番狂わせが起こるのだろう。勿論、王ジャパンの快挙は幸運だけだったり、予想外のことたったわけではない。そこには、アメリカ、ドミニカを上回る「ティーム力」と「選手の想い」が強く働いたのだろう。オールスターを並べただけではティーム力にはなれないのだ。スイマーの皆さんにも参考になる「選手の想い」をぜひ学び採って欲しい。
 世界一が決まったグランドで、私は福留と「よくやった」と固い握手を交わした。松中と「記念写真を撮ろう」と肩を叩きあった。アトランタの十年前、、松中は新日鉄君津、福留は日本生命のアマチュア、まだ、スターではなかった。そして、私はNHKのアナウンサーだった。
 夢の実現には時もかかるし、運を呼び込む何かが欠かせないのだろう。


サンディエゴ・ペトコパーク 歴史資料館で・・・


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