今年は日本水泳連盟にとって80年の歴史を刻んだ記念すべき年にあたる。その年にアテネ五輪で競泳、シンクロを会わせて10個のメダルを獲得できた。水泳日本の復活、第三期黄金時代の幕開けが始まったといってもいいのかもしれない。
日本水泳連盟の創立80周年を祝う記念式典と祝賀会が11月20日に品川プリンスホテルで盛大に行われた。日本水泳連盟の発足は大正13年10月31日である。祝賀会で挨拶された日本体育協会の安西孝之会長の話では体育協会の発足より水泳連盟のスタートの方が一年先輩にあたり、当時7つの競技団体で発足した中で、水泳連盟がイニシアチブを取り、リーダー的存在であったと紹介されていた。
主催者代表の挨拶をした林利博会長は80年の歴史を踏まえ、次のような主旨の挨拶をされた。
「水泳連盟はオリンピック第一主義を置いてきました。戦前のアムステルダム、ロサンゼルス、ベルリンで水泳ニッポンの黄金時代を築き、戦後は敗戦の中から国民に生きる希望と勇気を与えてきました。日本はロンドン五輪に参加できず、対抗競技を開き、古橋廣之進選手、橋爪四郎選手らが世界記録を連発するなど、ここが第二期の黄金時代であったといえるでしょう。」
若いスイマー、現役の選手諸君には、是非歴史をひもといて知ってもらいたいのです。古橋廣之進さんの全盛期は泳ぐたびに世界記録をマークし、敗戦の苦しみと虚脱状態の日本人に明るい希望を与えてくれました。「腹をすかしていても、泳げるだけが青春だった」という「フジヤマのトビウオ」の古橋さん。古橋さんがどんなに強くても、日本は戦争の責任をとらされて国際社会から締め出され、オリンピックに参加することは出来なかったのです。
古橋さんがオリンピックに登場したのは、ヘルシンキ五輪でした。400m自由形で辛うじて決勝に進みましたが、全盛期の力はなく、最下位に終わりました。「敗れた古橋を責めないで下さい」とラジオ実況をした飯田次男アナウンサーの名言が、今も語り草として残されています。私もオリンピックの実況のたびに、心して自分に言い聞かせたフレーズです。 |