スイミングマガジン・「2004年10月号」掲載記事
Sportus Field Column −島村俊治の勝負を語る!−
◎水泳ニッポンの復活によせて
 アテネ五輪のメダルラッシュ、華々しい快挙を誰が予測しただろうか。その象徴的なメダルは最終日の男子400mのメドレーリレーの銅メダルだ。
 競泳は個人レースだが、五輪だけはティームとしての戦いになる。これが世界選手権とは決定的に違うところだ。日本ティームとしてその代表的なレースがリレーということになる。シドニーの女子に続いて、今回の男子の快挙は日本がティームとして世界と対等に渡り合える実力を身につけたといえるだろう。
 メダリストを並べた背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライを受けて奥村幸大がロシアのポポフの追い上げをかわし、三位でゴールインしたのは、痛快といわずしてなんとしよう。老いたとはいえ、歴史に名を残した「あのポポフ」を振り切ったのだから・・・・・
 アテネの素晴らしい成果を私流に分析してみた。第一に、戦後、最多の八個のメダル獲得は「日本は裕福になり環境も資金も整ったのだなぁ」と、改めて実感させられる。日本水泳連盟の強化策が実を結んだことはいうまでもない。今年は日本水泳連盟創立80周年にあたる。11月にはその記念式典が行われると聞くが、ロサンゼルスの屈辱から始まって20年かかった長い強化の道程が、ようやくメダルや日本記録となって結実したといえるだろう。
 オリンピックアナウンサーとしてアメリカの国歌ばかり聞かされてきた私には(それでも2回の君が代は聞いたのだが・・・)ティーム
力としての日本を高く評価したい。何よりも泳ぐ環境が整備されたことを挙げよう。今の選手は恵まれている。海外や国内での強化合宿の多さはお金がなければ出来ないことだ。情報や技術の研究も多方面の協力を得、風通しをよくしたこともいい結果につながった。国際試合の経験も増え、外国人選手に対して意識過剰になることも減り、レースへの集中力を高めてきた。
2001年の福岡の世界選手権、2002年の横浜でのパンパシフィックを成功させたことも豊富な国際経験につながったといえるだろう。そして、シドニー、アテネをリードした上野広治ヘッドコーチ以下指導者、関係者の結束と選手をリードする力が素晴らしかった。クレバーで包容力のある上野ヘッドコーチの指導力に敬意を表したい。 
 第二は北島康介の二つの金メダル獲得である。第一人者が勝てるとは限らないのがオリンピックだ。期待されて結果を出すのは並大抵のことではない。あの鈴木大地さんでさえ、当時は三番めの力だった。「金メダルを取る」と宣言して実行した北島こそ、真の実力bP、歴史に名を残したスーパースイマーの仲間入りをしたといえるだろう。100m平泳ぎの決勝のコール、ライバルのハンセンのTVのアップの表情を見た時、私には不安と緊張の入り交じった心の定まらない心境に見受けられた。北島といえば、不遜ともとられるほどの集中した自己陶酔の目と仕種
に見えた。ソウルで鈴木大地がギョロッと睨みつけたあの眼差しに通じるものがあった。
 勝負の極意は「己に徹すること」だと私は解釈している。そこまで自分を磨き上げれば不安はないのだろう。勝負はスタート前についていたのだ。「ああ、北島はやるな!」と私はTVを見て呟いていた。200mは彼が言う「つまらなかったですか」に象徴される。まさに王者の勝ち方といえるだろう。むしろ、北島君がこれから金メダリストとして、どう生きていくのかに興味がある。彼のいう「チョー」有名人になり、世の中がほおっておかなくなった。金、女など利権にからむ誘惑はあとを絶たないだろう。金メダリストの真の価値はこれからの彼の生きざまにかかっているような気がするのです。
 第三は柴田亜衣のあっと驚く金メダルである。あの岩崎恭子ちゃんと同じ無印からの快挙であり、ともに日本一より世界一になったシンデレラガールという点だ。誰も予測は出来なかったという点だ。しかし、オリンピックでは何が起こるかわからない典型的な例だろう。柴田の陰の努力はそれだけにすごかったのだろう。ただ、恭子ちゃんとの決定的な違いは、何も知らず懸命に戦った14歳と、大きな国際大会の怖さも難しさも知った遅咲きの大学生の22歳。その違いはかなり大きいと私は思っている。
 最後に執念の銀メダリスト山本貴司の有終の美に最大限の敬意を表すとともに四人の銅メダリストにも祝福を送りたい。アテネは「水泳ニッポン」の復活の日々となった。


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