スイミングマガジン・「2004年07月号」掲載記事
Sportus Field Column −島村俊治の勝負を語る!−
◎エニスイング・イズ・ポッシブル
  日本語で言えば、「やれるんじゃない。何か出来そうだよ」とでもいうのだろうか。エニスイング・キャン ハプンという言い方もする。
 今月の私から皆さんに贈る言葉は、この「エニスイング・イズ・ポッシブル」だ。
 1996年のアトランタ五輪の野球の決勝戦、私は、今はもうなくなったフルトンカウンティスタジアムの放送席にいた。金メダルはアマチュア球界最高峰のキューバ対日本、勿論、当時の五輪の野球はアマチュアだけ、今回のような日本が全てプロ野球選手を送るような時代ではなかった。
 決勝戦はキューバと地元アメリカが対戦するのが順当と思われていた。
 ところが、勝負は分からない。準決勝で日本はアメリカに快勝、世界最強といわれたキューバに挑むことになったのだ。キューバ打線の破壊力は強烈だった。しかも駿足ぞろい。日本は数々のアマチュアの国際大会に何度挑んでもキューバのパワーの前に粉砕されていた。
 決勝戦の実況をするにあたって、私は正直いって日本が善戦してくれればいいとそれだけを願っていた。10点差以上大差をつけられてボロボロに負けての銀メダルは勘弁して欲しいと思っていた。非国民のようだが、それほどにキューバは強かったのだ。
 放送開始5分前、私はどんな第一声で入ろうかとあれこれ思案を巡らせていた。何年やっていても、放送開始直前は嫌なものだ。オープニングの言葉は競泳でいえばスタートにあたる。ここがスゥーッと旨くいけば自分の世界で語れる。スイマーが自分の泳ぎが出来るのと同じ感覚なのだ。スターティングメンバーを確認していると、隣の放送席から呼ぶ声がした。アメリカの放送局のコメンテイター、日本風に言うと私と同じアナウンサーだ。日本との準決勝戦に破れ3位決定戦の試合後だった。彼はこういった。
 「エニスイング・イズ・ポッシブル」
 「頑張れよ」という言い方なのだろう。日本人は何かというと「頑張ります」というワンパターンだが、彼は私に「何か起こるかもしれないよ」といってくれたのだ。私は咄嗟に「アイ ホープ ソー、バット・・・・・」と言って言葉を飲み込んだ。そのコメンテーターも私の言わんとすることを察したのだろう。笑顔で何度も頷いていた。そのコメンテーターは自分たちのアメリカを下した日本を応援し、政治的に緊張が続くキューバの負けを望んだのだろう。
 私はキューバにはまったく歯が立たないと思っていたので、好意は嬉しかったが「無理だよなぁ」とつぶやいた。解説の山中正竹さんに「エニスイング・イズ・ポッシブルなんていわれたけど不可能でしょうねえ」と問いかけると、「いや、いや、分かりませんよ。何か起こるかも知れないと私も見ているんですよ」
 試合が始まった。やはり、実力の差は如何ともしがたく、前半で4点の差をつけられた。日本の投手陣とキューバの打線を比較すれば、ますます差は広がりそうだった。
 「お願いだから決勝戦をぶち壊さない
 いい試合になって欲しい」と願いつつ私は実況している。頑張れの連呼をしないのが私のやり方だ。
 5回、4点差をつけられていたが満塁のチャンスが巡ってきた。この時の全日本は、今プロ野球で活躍する選手たちのアマチュア時代、今岡、谷、松中、磯部、福留らである。その満塁のチャンスに4番松中のバットが鋭く一振された。打球は左中間のスタンドに向かって大きな弧を描いた。放送席の私は声を振り絞って叫んでいた。「松中の同点満塁ホームランが出たっ!」
 「試合直前に米のアナウンサーに、エニスイング・イズ・ポッシブルと言われました。正直、私は信じてはいなかったのです。今、私は確信しました。エニスイング・イズ・ポッシブル。何かが起こる。やれることはあるのです。」
 試合は結局、キューバが後半に打線の威力で日本を突き放し、金メダルの輝いた。日本は敗れて銀メダルだったが、最後までキューバに楽な戦いをさせなかったのだ。
 オリンピックで勝つことは目標の第一である。しかし、如何に負けるか、どう戦ったのか、全力を出し尽くせたのかが、実は大切なことなのだろう。そして、その心がオリンピックを応援する人々の胸を打つシーンになるはずだ。
 「エニスイング・イズ・ポッシブル」素晴らしい言葉ではないか。以来、私は苦しい時に呟き、励みとしている。岩崎恭子ちゃんのバルセロナもそうだった。この話は次回にしよう。


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