スイミングマガジン・「2004年06月号」掲載記事
Sportus Field Column −島村俊治の勝負を語る!−
◎オレ流を貫いた田口信教
 今年のプロ野球で、中日の落合新監督の「オレ流」が話題を集めている。
何しろ現役時代に二度の三冠王をとった人だけに技術に眼力に絶対の確信を持っている名選手だ。自分の工夫で掴んだ技術と心のあり方こそが選手にとって最後の切り札になる。水泳の選手で、ワタシがオレ流の見本を紹介するなら、ミュンヘン五輪の平泳ぎ金メダリスト・鹿屋体育大学教授の田口信教さんだ。
 実は、ミュンヘン五輪は私はまだ五輪アナウンサーではなかったので、彼の金メダルの実況はしていない。ただ、ロス五輪は解説者だった田口さんと、毎晩マリナ・デル・レイという世界最大のヨットハーバーのレストランで現役時代の話を聞いたものだ。皆さんにも参考になるかも知れない。
 目をつぶって思い出してみよう。そう、田口さんは大好きなカクテル・マルガリータを楽しみながら毎晩語ってくれたのだ。
 田口信教の五輪出場は三回を数える。栄光もあれば失意もあった。ただ、そのどれもが、彼の創意、工夫、発想からなるものだった。常にテーマを持って五輪に臨んでいたのである。
 高校生のメキシコ五輪では「田口キック」を開発した。水面に足を抜くキックである。ルールブックの盲点をついたものだった。しかし、五輪では泳法違反で失格となった。「悔しかったが頑張れたからいいや」と泣き言をいわず経験を大切にした。
 絶頂期のミュンヘンは、当時としては画期的な「イーブンペース」で逆転勝ちした。予選、準決勝と一位、世界新で決勝に進んだ。しかし、準決勝は後半逃げきりだった。つまり、この段階で手の内を明かしてないのだ。決勝で初めてイーブンペースで泳いだ。勝つための戦略である。当時、イーブンペースに着目した選手はいなかった。田口は前半の入りを四十回やっても、コンマ二秒とは違わなかったという。速度はイーブン、タイムは一分五秒五が目標、相手は人ではなくタイムだった。
 決勝の五十のターンは七番目、次々と抜き、ゴールはきっちり逆転という「カッコいい勝ち方」だった。しかも、世界新記録の金メダルだった。準決勝で前半飛ばして見せたから、ライバル達は前半飛ばし、彼のいう「人生ただ一度の会心のレース」である。
 全盛期を過ぎたモントリオールは二ストローク一ブリージングで戦った。自由形の発想である。結果は年齢もあり本人がいう「ハングリーさに欠けた」ことで敗れた。
「アイディアが勝負でした。だって楽しく泳げるじゃないですか」
「五輪で勝つには工夫しなければ勝てない。三回とも違うやり方でした」
 マルガリータの酔いがまわってひょっとすると正確性を欠くかもしれないが、彼はこんなことも話してくれた。レースが近づくと、練習以外の生活の中で不安が出ます。選手村で彼は大好きな宮本武蔵の「五輪の書」を読んでいたという。剣聖武蔵に己を置き換え、勝負の心に迫っていた。最近の選手は漫画を読んでリラックスするようだが、田口のリラックスは違っていたのだ。
 各国選手と一緒の練習では必ずセンターコースしか泳がなかった。一番速いものがここで泳ぐことを見せつけるためだった。彼のコースはセンターしかなかったのだ。
 召集所では机などの高いところに座り、腕組みをしてライバル達を見下ろした。皆、緊張して重苦しい雰囲気の中で、はしゃいでもいけないし、ビクビクしてもだめだ。もう心が決まっていなくてはならない。強く、自信に溢れていることをライバル達態度で示したのだった。
 田口信教はアイディアに溢れた「オレ流」で技術を極め、集中力を高め頂点を極めたし、立派に負けた。もっとも、田口流を真似てもだめだ。
自分のやり方を作りあげることだろう。五輪は誰のためでもない。自分のために全てを尽くし自分のやり方で戦ってほしいものだ。


--- copyright 2001-2002 New Voice Shimamura Pro ---
info@shimamura.ne.jp