スイミングマガジン・「2004年05月号」掲載記事
島村俊治の会えてよかった(27) ゲストは「鈴木 陽二」さんです
はじめに
 久しぶりにお会いしたが、相変わらず若い。あの鈴木大地選手がソウル五輪で金メダルを取った頃と変わりない、と言っても決してオーバーではない。ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、とオリンピックのコーチを務め、今年はアテネを目指す。私はオリンピックはアトランタまで、そのほかに世界選手権、アジア大会などで何度のお付き合いをさせてもらった。親しげな笑顔に誘われて、"鈴木さん"とは言いにくく、"陽二さん、陽ちゃん"と呼んでいる。「島村さんは縁起のいいアナウンサーだから」と、いつもの人懐こい笑顔で迎えてくれた。
北島選手は心が強い。
大地と同じように集中するとプラスアルファの力が出せる
島村 陽二さんや(鈴木さん)大地さんとは昔から親しくさせていただいていますが、昔に比べたら海外の遠征や世界で戦う環境は変わったでしょう。
鈴木 そうですね。ちょうど島村さんと出会った頃は、"世界で戦うにはどうしたらいいか"と考えていた時代。でも今は、海外の情報も入ってくるし、指導者もたくさん育ってきていますから、世界で戦える選手が多くなってきました。
島村 今の時代、オリンピック代表に選ばれるためには、"メダルをターゲットに出来る"という条件も必要ですよね。
鈴木 1984年以降、日本の水泳界はずっと伸び続けているといえるでしょうね。そして今は、北島康介という世界記録を持つ選手がいて、そのほかにもメダルが取れる位置に何人もの選手がいる状況ですから、非常に楽しみです。
島村 北島選手の話が出たのでうかがいますが、彼のように世界記録を持つ選手がオリンピックで金メダルを狙うというケースは、これまでずっと日本水泳界にはなかった。多くの皆さんは金メダルを取るのが当たり前のように言われるけど、そんなに簡単なものではないと、私は思うんです。そういう中で、北島選手は頑張っているわけですよね。
鈴木 1月に、北島君たちと一緒にワールドカップに参加したとき、平井伯昌コーチともいろいろ話をしたんです。今のところは、短水路大会でE、モーゼス(米国)にちょっと差をつけられていますが、泳ぎ自体では勝っている。だから、勝機は十分にあると思うんですよ。当然、ライバルたちも追いたててきますから、そういうときのメンタリティーのバックボーンを、周囲のスタッフが支えていかなければならないと思いますね。
島村 北島選手は、大地さんと同じように心の強さがあるんですよね。
鈴木 集中力がすごい。大地もそうだったんですが、集中するとプラスアルファの力を出せるんですよ。
島村 では、北島選手と大地さんの違うところは?
鈴木 練習の取り組み方は、北島君のほうが真面目(笑)。普段は周りの選手に冗談を言ったりしているし、北島君の方が親しみやすいところがあるんじゃないでしょうか。
島村 大地さんはいい意味で、人を寄せ付けないような雰囲気もありますかね。
鈴木 大地の場合、レースに向かって集中するときは、体を震わせたりして徐々に集中していく感じが見ていて分かるんです。でも、北島君の場合は瞬間にフッと集中していく。ただ、二人にいえるのは集中したとき、普段は見せないような顔つきになる。役者のように表情がガラッと変わって恐い顔をしているんですよね。
島村 ある意味、すごい役者が演じると、その瞬間、その役者に乗り移ってしまえる。スポーツでも、そういう状況になれたとき、初めてすごいチャンピオンといえるんじゃないかな。分かる気がしますね。
●日本代表のヘッドコーチを交代して、
またコーチとしてもう1回オリンピック選手を育てていこうと・・・
島村 ところで今、陽二さんが指導している選手たちはいかがですか?
鈴木 森田智己、伊藤華英、稲田法子。背泳ぎの三人がいます。
島村 稲田さんは、ここまでよく頑張っていますね。
鈴木 稲田の場合、すでに2回のオリンピックに出ています。身近にいるから特に感じないけれど、よくよく考えるとすごいことですよね。
島村 92年のバルセロナでは、中2トリオで初出場。その稲田さんのアテネへの可能性は、いかがですか?
鈴木 100mで中村真衣、中村礼子、稲田、伊藤、寺川綾の5つ巴だと思うんです。皆が狙っているわけですから、タッチの差になることは間違いありません。まず稲田の場合、100mで代表になるというのが目標ですね。
島村 伊藤さんに関しては、彼女が小さなころから期待していましたね。
鈴木 伊藤は0歳から水泳を始め、中学3年のときに頭角を現してきました。ちょうど99年にセントラルスポーツでは、5年計画でオリンピック選手を育てようと「ターゲット2004」というプロジェクトを立ち上げました。確か2000年の選考会で、当時そのころから注目していた中学3年の伊藤が大ベストを出したんです。
森田は、小柄だがバネの効いた泳ぎをするということで注目した選手。当時は泳ぎが荒削りでしたが、「この子はすごく将来性があるな」と感じましたね。
島村 それこそ3人そろってオリンピックへ連れて行きたいですよね。
鈴木 そうですね。教えている以上、今はそのつもりでいますよ。
●素晴らしい素材の選手に出会えるってことは、コーチ冥利に尽きる。
今は心が躍る気持ちです。
島村 振り返ると、84年ロサンゼルス五輪のときはまだ世界と戦えず、大地さんとともに悔しい思いをした。そこから次のソウルへの取り組みがスタートしたと思うんですね。今度のアテネは陽二さんにとっては6回目のオリンピックになるわけで、当然年齢も重ねてきた。若い選手とオリンピックを目指すということを今どの様に感じていますか。
鈴木 全日本のヘッドコーチをやっていたときは、日本水泳界全体のことに集中していました。その後、野本敏明さん、上野広治さんにヘッドコーチを引き継いでからは、また一人のコーチとしてもう1回オリンピック選手を育てていこうと。
やっぱり伊藤にしろ、森田にせよ、素材が素晴らしい。こういう素材に出会えるっていうのはコーチ冥利に尽きるわけですよ。こうした選手たちを最高に伸ばすのが、コーチとしての役目だと思っていますから、今は心躍るような気持ちです。楽しいですね。
島村 そういう心境って、若いときとは違うものですか?
鈴木 違いますね。オリンピックで金を狙えるような選手に出会う機会って、自分のコーチ人生で、出会えても一人か二人。そういう中で50歳くらいから、こういう選手に出会えたのですから。幸運だと思います。たとえば今の森田は、大地の練習レベルを超えてきているんです。「こんなに素晴らしいところを持っているんだな」とか、感じさせられることがあるんですよ。
島村 技術的なことも含めて、森田選手は今、大地さんを上回っているってことですか?
鈴木 もちろん大地の方が技術的に上の部分もありますが、どちらかというと、大地は"水の申し子"みたいなところがありました。森田は、水を切りさくようなパワーがあるんです。
伊藤にしても、日本女子ではあんなに手足が長く、体格に恵まれた選手はいない。その上、ミズに対するセンスがいい。ただ、まだバネがないんですが、こういう部分は、ある程度トレーニングで解消していけますからね。素材の基本的なところは、コーチにはどうにもならない。だからこそ、素晴らしい素材の選手との出会いは貴重なんです。
●若いコーチは僕らの生きざまを見ている。僕らが先陣を切っていかないと
島村 若いときと今では、指導自体に変化はありますか?
鈴木 "自立した選手を目指す"とか、基本的な理念はずっと変わりません。だけど、トレーニングはかなり変わってきていますね。今の方が、数段泳がせていますから。
島村 それは、どういうことで変えたのですか。
●金メダルを取らせてから、周囲の期待は大きい。
そのつらさがきっとあったんじゃないかなと感じました。
鈴木 96年ぐらいまで大地の金メダルの成功体験っていうのを、ぼくはずっと引きずっていた。それ以後、稲田らを育てていたのですが、96年のアトランタに稲田が出場できなかったんです。ぼくの教え方に責任があると感じ、その時点から教え方を一から立て直そうと決め、いろいろな要素を取り入れようと。もちろん、今までの経験で良いところは残していこうという気持ちもありましたけどね。それで、徐々に練習量を増やしていったんです。
島村 大地さんに金メダルを取らせてから、陽二さんがコーチングをする限り、周囲からの期待は大きい。そのつらさっていうのは、きっとあったんじゃないかなって、今のお話を聞いて感じましたね。
鈴木 セントラルスポーツの場合、当然世界を狙うっていうのが、会社の方針でもあるわけです。絶えず世界で戦える選手を送り出すってことが、コーチである私の使命なんです。
島村 指導する心のあり方とは。若いときと50,60歳を過ぎてからでは、また違うと思うのですが・・・
鈴木 キリキリしていませんよね。余裕が持てるし、コーチをしている自分を客観的に見られます。
島村 実際に、ご自分ではいつまでコーチを続けようと思っているのですか。
鈴木 できる限りやりますよ(笑)やはりぼくらが先陣を切っていかないと。今は平井コーチを始め、多くの若いコーチは活躍していますが、ぼくらの生きざまを彼らは見ていると思うんですよ。会社が許してくれれば、とことん行きますよ。海外では、ぼくらよりも年齢が上のコーチはたくさんいます。それに、そういうコーチがいい選手を育ててくるんですよ。
島村 それは同感です。私も、懲りずにアナウンサーをやり続けていますから(笑)。テニスのアンドレ・アガシ選手が言っていたのですが、「必ず終わりがくることだけは、いつでも心の中で思いながらプレーをしている。ラケットを置くそのときまで自分の全てをかけてやる」と。私も、いつ終わりがくるか分からないけれど、そこまではベストを尽くしていきたい。ただ、簡単に自分の方から辞めない方がいいとは思いますけどね。。
鈴木 以前、「いつまでやるんだ」と周囲の人から結構言われていた時期があったんです。だけど、やはり「この会社には、これをやる(選手を育てる)ために入ったんだよな」と原点に戻るんですよね。
島村 その道を極めるということなんですね。アテネ五輪を目指す鈴木コーチのご活躍、楽しみにしています。
終わりに
 鈴木大地選手のときもそうだったが、「この選手はすごい」と手ごたえを感じる逸材に出会ったとき、「コーチとしての胸騒ぎを覚える」という。鈴木陽二コーチの指導のもと、今年は機体の選手が三人もいる。ソウル五輪の4年前のロサンゼルス。「米国の国旗ばかり見て、国歌だけを効き続けて悔しい。次は大地で日の丸を」と激しく心をたたいたハングリー精神が今もあるのかー。第二のメダルは、ここからスタートするだろう。友よ!健闘を祈る。


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