しにあ・すくえあ/しにあエッセイ・2003夏号」掲載記事
◎野球を楽しみ、野球から学ぶ
  野球少年だったが、まさかスポーツアナウンサーなどになろうなどとは思いもよらなかった。NHKに入り、無理やりアナウンサーにさせられた。余程、顔が良かったのかと思うのだが、当事はまだラジオ全盛の時代だから、まさに「何でだろ?何でだろぉ?」だ。
 スポーツアナウンサーになったのは、人と勝負と自然との戦いを語れるからだった。スポーツは戦いである。今でも野球の言葉に戦争用語が残っている。ルールを基本に人間が闘争する。試合の中には栄光、勝利、感動、失意、敗北、希望、失敗と人生の歩みが凝縮されているのだ。
 自然との戦いはゴルフ、スキーなどが典型だ。風、気温、芝、雪、池、川、自然と戦うにはそこに運、不運がつきまとう。全てを尽くしても、その瞬間に風が吹き、技術を打ち砕いてしまうことが、当たり前のように起こるのだ。優れた選手は。その運、不運を享受する。このようにスポーツを見ていると、人と自然と勝負を語れるわけで、60歳を過ぎた今でも、私は青春の様相でマイクに向かっているのだ。
 今でも、所沢にある西武球場に行く時は心豊かになる。横浜の青葉台に自宅のある私は、取材や放送があると、田園都市線で溝の口、そこからJRで立川、その後はタクシーで西武球場に行く。今夜はどういうアナウンスをしようかと、漠然と考えながら車窓に展開する多摩地区の田園風景を楽しむのが好きなのだ。
 春爛漫の桜の頃は国立周辺が素晴らしい。新緑の候は多摩のどこを通っても緑に不自由はしない。勿論、紅葉の季節は西武球場に近づくほど鮮やかだ。ことに西武は森監督の時代は連覇を続けていてので、シーズンが押し詰まるほど頻繁に通い、多摩から狭山の丘陵にかけての紅葉を楽しんだものだ。
 アメリカでは球場をボールパークといい、野球を中心に家族で楽しめる「広場」になっているところが多い。西武球場も村山貯水池や西武園といった公園の一角にある。今は屋根付球場に変わってしまったが、私は以前の狭山丘陵とユネスコ村が見渡せた頃の方に愛着がある。。放送席の前方に風車がゆったりとまわり、風が流れ、丘陵の木々が変化し、花木が咲く風景が表現でき楽しかったのだが、ドーム球場は味気ない。気持ちよく試合を観戦するにはドームと人工芝だが、野球はやはり、自然との戦いがある原点ー野の球ーの方が私は好きなのだ。寒さに震えたり、汗びっしょりかきながら観戦するのが懐かしい。
 野球の放送で興味があるのは「監督」のあり方だ。去年は西武の井原監督、今年は日本ハムのヒルマン監督だ。二人とも選手としての実績は乏しい。井原さんは長いことコーチを務め、それに徹してきた。監督として掲げたテーマは広岡、森監督時代の投打のバランスと走る野球、自分のカラーを出すより、「黄金時代に帰る」こと「忘れていたことを取り戻す」ことだった。日本シリーズで完敗したとはいえ、ペナントレースでは見事に選手を動かした。ベンチでメモを取る姿に教育者の片鱗を見る。
 今年日本ハムのヒルマン監督は井原さん以上のメモ魔だ。アメリカでは大リーグではなくファームの監督をずっと続けてきた。「全員で戦い、適材適所に選手を起用する。全員の心を一つにし、日本とアメリカの野球のいいところを一緒にしたい」という。
 アメリカの野球はパワーと金だけではない。育てる事に関してははるかに日本の先を進んでいる。日本に伝えられる報道は大リーグの表面的なものが多く、イチローや松井の活躍などはほんの一部ということなのだ。
 監督の指導を知る、選手の努力を知る、さすれば、野球の楽しみ方が増え、楽しみながら学べることもあるはずだ。私の人生の師は川上哲治さんと鶴岡一人さん、マイクをはさんで多くのこと、そうー生き方を教えてもらえた。


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